「治る認知症」って!? 治療できる心理症状にも注目
高齢人口の増加とともに、認知症になる人は増えている。認知症は治らない、症状を改善することもできないと思っている人は、多いのではないだろうか。ところが、中には治療で改善できる認知症や治療可能な症状もあるという。第114回日本精神神経学会学術総会の市民公開講座から、高知大学医学部神経精神科学教室教授の數井裕光さんが取り組む、認知症の研究・治療法の話を紹介しよう。
認知症とは自立して生活できない「状態」
物忘れや言葉の理解障害など認知機能に低下が見られると、私たちはつい認知症を疑ってしまう。この認知症という言葉を日常的に使っているが、実は特定の病気を指しているわけではない。
「認知症とは、20歳ごろまでに獲得した様々な認知機能が、脳の中の神経細胞の破壊のために、日常生活を自立して送れないくらいにまで低下した『状態』のこと。アルツハイマー病と診断されても、自立した生活ができていれば認知症とは呼びません」と數井さんは語る。
その認知症に含まれる主な「状態」は、3つあると指摘する。
「物忘れや道に迷うなどの『認知機能障害』、怒りっぽくなったり、妄想したりする『行動・心理症状』(BPSD=Behavioral and psychological symptoms of dementia)、まひや歩行障害などの『神経症状』です。この認知症の原因となる一番多い病気が、アルツハイマー病。次いで血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭葉変性症の順です(65歳以上の場合)。この他に特発性正常圧水頭症(iNPH)があり、これは治療可能な認知症といえます」(數井さん)
認知症は一度なると治ることなく、進行するものと思いがち。治療で改善できる認知症があるとは驚きだ。では、iNPHとはどのような病気なのだろうか。
iNPHの認知症は治る可能性あり
特発性正常圧水頭症(iNPH)は、脳の中にある脳脊髄液の「吸収」が、何らかの原因で障害されることで起こる。脳脊髄液は脳の中央にある脳室でつくられ、脳の周りや脊髄の表面を通り、静脈などに吸収される。この流れが滞ると脳脊髄液がたまり、脳が圧迫されることで認知機能障害や歩行障害、頻尿・尿失禁などの症状が表れる。
「認知機能の低下とともに、歩くことが不安定になったり、方向転換が困難になったりします。しかし、治療することで、普通に歩けるようになる人もいる。私の患者さんの中には、1人で国内旅行に行けるぐらい改善した人もいます。『特発性正常圧水頭症診療ガイドライン』では、わが国の地域在住高齢者を対象とした研究では1.1%の人にiNPHの疑いがあったとされています。つまり、地域に住む高齢者100人に集まってもらうと、1人はこの病気の可能性があるという高頻度です」(數井さん)
iNPHは、脳のMRI(磁気共鳴画像診断装置)で発見できる。図1の中央は、iNPHの人の脳のMRI画像。真ん中の黒い部分が脳脊髄液のたまったところで、その部分がかなり大きくなっている。
「シャント術」でどれだけ効果があるか
治療には「シャント術」という手術が行われる。脳にたまった過剰な脳脊髄液を、体内に入れた管を通しておなかの方に流すというもの。頭蓋骨に小さな穴を開けて脳からおなかに管を通す「V-Pシャント術」と、腰からおなかに管を通す「L-Pシャント術」がある。L-Pシャント術は脳を傷つけることなく手術でき、近年多く行われるようになってきているそうだ。
iNPHの100人に臨床研究に協力してもらい、シャント術をしたところ、明らかな認知機能障害を持つ、認知症レベルにあった80人のうち37人が正常、もしくは軽い症状はあるが日常生活を送るには問題のない状態になったという。
「80人中の37人ですから、46%の方の認知症が治ったといえます。ただし、臨床研究として行っているので、iNPH以外の病気がないなど条件の良いiNPHの人が、iNPHを熱心に治療している医師によって診断と治療された結果なので、実臨床よりは良いデータだと考えられます。軽度の段階でシャント術を受ける方が、自立した生活を送れる可能性は高い[注1]ので、早期に発見し、早く対処することが重要です」と數井さんは力を込める。
怒りっぽいなどの症状は対応法が治療に
怒りっぽかったり、幻覚を見る・妄想があるなどの症状が見られたり、不安になったりする認知症の行動・心理症状(BPSD)についても治療はできるという。
[注1]數井裕光 認知症診療におけるかかりつけ医の役割 日本臨床内科医会会誌.2017;32(4):569‐575.
「BPSDは物忘れや道に迷うなどの認知機能障害と同様に、あるいはそれ以上に認知症の本人を悩まし、家族の介護負担となったり、早期からの施設入所の原因になったりします。しかし、このBPSDは、適切な対応法により治療可能で、さらに予防もできます」(數井さん)
適切な対応法とは、症状が起こる原因を考え、声のかけ方や接し方を工夫することだ。
例えば怒りっぽくなる症状が出ていたら、まずその理由を考えてみる。
「怒りっぽさの背景要因には、協調性がない性格、他に体の病気や症状があることなどが挙げられ、男性に多いです。体の病気があれば適切にコントロールすることで、怒りっぽさは起こりにくくなります。少し前まで社会を担う活動をしてきたのに、家族から軽んじられていると、プライドを維持しようとして怒りっぽくなることもあります」と數井さんは話す。
このような気持ちになるベースには、日常生活の中で失敗が増えることからくる不安がある。そのため、認知症の人が感じている不安をぬぐえるように、大丈夫であることを穏やかな態度、雰囲気で伝えることが大事だ。
「声をかけるときの言葉も大切です。簡潔な言葉でゆっくりと話すこと。論理的な詳しい説明をしすぎると、特に内容が分からない場合は、認知症の人は叱られていると勘違いしてしまいます。また何もすることがない時にBPSDが起こりやすいということも言われています。人間は社会的な生き物なので、何か役割を持ってもらい、『ありがとう』『助かるよ』と声をかけることがとても有効です」(數井さん)
対応法の奏功確率を公開するウェブサイトを開発
認知症の人への声かけの仕方や接し方次第で症状に改善が見られるものの、ケアのマニュアル本で紹介されている様々な対応法が、実際にどれくらい有効なのかについては未検証だった。
そこで、數井さんらは色々なBPSDに対する様々な対応法の有効性を調べるため、ウェブサイト「認知症ちえのわnet」(http://chienowa-net.com/)を開発した。認知症の人に生じたBPSD、これに対して家族介護者たちが行った対応法、そしてその対応法がうまくいったか否かという3つの情報を、介護している全国の人から投稿してもらい、収集した情報を専用コンピュータで解析し、「奏功確率」を公開している。この研究は、日本医療研究開発機構の認知症研究開発事業として、大阪大学と高知大学、東京医療保健大学などが共同で進めている。
「認知症の人へのケア体験を、症状ごと、対応方法ごとに集計しています。困りごとがあるご家族はこのサイトを見て、対応を検討するところから始めてもらえるようになればうれしいです」(數井さん)
例えば「幻覚・妄想」の症状の一つ「ある物が人や顔などに見える」場合。対応方法として「見間違えているものを除去する」は、うまくいった確率が91.7%と高い。「物を盗られたと言う」のなら、「話を聞く」ことが奏功確率100%に(奏功確率は2018年6月末現在。継続的に情報を収集して集計するため変化する)。ささいなことでも、対応法を正しく選択し、実践することで症状の改善が期待できるのだ。
「この手法は、現場での対応法の結果を集計するので、信頼性が高いといえます。投稿を通して、介護で悩んでいるのは自分だけではないことが分かるので、介護者の孤立化の防止にも役立つと思います」と數井さんは話す。
認知症の人への症状の対応がうまくいかないと、介護する側はイライラが募り疲弊しやすい。効果の高い対応法を共有できれば、認知症の本人はもちろん、その周囲の人たちも穏やかに過ごしたり、支えたりすることができるだろう。
(ライター 福島恵美 図版作成 増田真一)
高知大学医学部神経精神科学教室教授。神戸市出身。兵庫県立高齢者脳機能研究センター(当時)、大阪大学大学院医学系研究科精神医学分野などを経て、2018年1月より現職。専門は老年精神医学。認知症の人やその家族を支える兵庫県川西市の「つながりノート事業」を支援。認知症の人への適切な対応法を研究し、公開しているウェブサイト「認知症ちえのわnet」の研究代表者を務める。治る認知症「特発性正常圧水頭症」の診療・研究にも取り組む。
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