横浜市の林文子市長自動車販売会社やダイエーの経営トップを歴任し、2009年から横浜市長を務める林文子氏。小売業で培った「おもてなし」の精神を市役所に取り入れて職員の意識改革に取り組んできた。その成果は区役所の窓口対応の満足度向上や企業誘致などに表れてきている。背景にあるのは林市長がリーダーの条件に掲げる「包容力」や「コミュニケーション」といったキーワードだ。
■「おもてなし」の精神を植え付ける
――市長に就任して9年。最初は行政の世界に戸惑うことも多かったのではないですか。
「あまりにも民間と文化が違うことに驚きました。例えば『調整』という言葉。職員と話していると、たいてい『調整します』と返されるんです。水くさい言葉だ、調整ってなんだろうと思っていました。行政は公平でなければならないので、様々な調整をしなければ決められないということだったのですが、とても違和感がありました」
「市長と職員の距離もすごく遠かった。私が直接話せるのは副市長か局長ぐらい。部長以下が市長と話すなんてとんでもないという空気がありました。小売業をやってきた私にとってはとてもおかしいことでした。小売業では社員と遠ければ、その先にいるお客様の考えがわからなくなってしまいます」
――そんな市役所をどのように変えてきたのでしょう。
「とにかく市長と職員の距離を近くするしかないと思いました。そこで私がどういう方針で市政を進めていくのか、わかりやすく伝えるためにキャッチフレーズを伝えました。『おもてなしの行政サービス』『共感と信頼の市政運営』と。最初はやっぱり驚かれました。おもてなしという言葉がなかなか理解しにくかったんですよね」
「私たちは税金をお預かりして行政サービスをしている。だから市民の方をお客様と思ってくださいと。当時は議会の答弁や市役所内の会議などで『市民が~』と話すのが普通でしたが、『市民の皆様が~』と言いましょうと提案し、変えました」
「職員一人ひとりの能力は大変高いのに発揮されておらず、もったいないと感じました。いい報告書はまとめるけれど言葉で伝えるのが下手。上司に目が向いていて市民は見ていない。『市民の皆様ともっと向き合いましょう』と伝える必要があり、私自身が後ろ姿を見せるしかないと思いました。例えばお客様の来庁時には立ち上がって『よくいらっしゃいました』と歓迎しました。こういう姿勢を幾度も見せました」
――市役所のエレベーターで職員に会うと積極的に声をかけると聞きました。
「IDカードを見て『どちらの方?こども青少年局?今、すごく忙しいでしょう。いつもありがとうございます』って。これをやるのは特に若い職員と接する機会が全くないからなんですよ。企業の社長だった時は全従業員を集めて事業計画を発表し、その後にパーティーを開いて若い人たちと『頑張ろう!』と励まし合う場を作れたんですが、行政はそんなことはしちゃいけない。私自身を知ってもらうチャンスが極めて少ないんですよね」
■つらかったことも含めて人間性を見せる
――市役所が変わったと実感するまでにどのくらいの期間がかかりましたか。
「常に人間性を見せることが大事」と話す林文子氏「5年過ぎた頃からだんだん変わってきましたが、本当に変わったのは7年過ぎてくらい。今では職員の方からあいさつしてくれます。市民の方、経済界の方にも『変わりましたね』と言われます」
「市では毎年、区役所に来庁された方に窓口サービスの満足度を尋ねる調査をしていますが、17年度は全体的な印象について『満足』と答えた人が83.9%に達しました。『やや満足』と合計すると97.2%で過去最高を維持しています。私が就任した翌年の10年度は『満足』との回答が68.2%でした。職員には『一生懸命さが伝われば満足してもらえる』といつも言っています」
――様々な組織でリーダーを経験していますが、大事にしていることはどんなことですか。
「リーダーにとって一番の素質は包容力です。決断力は持っていて当然です。『俺について来い』なんて言葉は自己肯定感満々の方が言うセリフ。リーダーシップって周りが評価することです。だから相手の立場に立つ、相手の話をよく聞くということが、リーダーの条件だと思います」
「それから常に人間性を見せていくこと。自分の経験や、つらかったことを伝えてあげるといいと思います。『林さんもそんな経験をしているんだ。自分も大丈夫だ』と思ってもらえるチャンスになるのかなと。あとは忍耐ですね」
――包容力や人間性を見せることが大事だと思うようになったきっかけは何だったのでしょう。
「女性リーダーのロールモデルがほとんどいない中、無手勝流でやってきたことでしょうか。私が自動車業界で営業課長や部長、支店長をやってくださいと言われた1980~90年代は女性が中間管理職になるなんて思えない時代でした。私も男性の役割だと思っていました。当時、私は管理職になるための教育はされませんでした。ただ、今でも思い出すのは自分が支店長になった時のこと。自分が部下だった時代にやってほしくなかったことはやらないと決意しました」
――それはどんなことですか。
「私は自動車販売会社で売り上げトップの期間が長かったのですが、トップは最も孤独なんです。いつも人の上に立っていて、アスリートのように絶対に負けたくないという気持ちが染み付いている。来月は売れないかもというプレッシャーを常に感じていました。ところが多くの上司は『トップだから何もしなくて大丈夫』と声もかけてくれないのです。売れなくてうろうろしている社員に一生懸命になってしまう。すごく寂しかった。あの時褒めてくれたら、もっと『ありがとう』と言ってくれていたら、どんなにうれしかっただろうと思ったんです。だから私は部下を褒めることや感謝の気持ちを伝えることを大切にしています」
――リーダーとして、今も教訓としている失敗はありますか。
ファーレン東京(現フォルクスワーゲンジャパン販売)社長も務めた「ビー・エム・ダブリュー東京で支店長になった時、販売を指揮する立場になるので担当していたお客様を部下に任せることになりました。そんな中、あるお客様から『任せきりにしないで、林さんもちゃんとそばにいてほしい』というお叱りを受けたんです。うれしく思ったのですが、深く反省もしました。現場に足を運ぶ時間が減っても、電話でお礼を伝えたり、お手紙を書いたりとできることはいくらでもあるわけです。どんな立場でも『お客様に寄り添う気持ち』こそが大切なのだと教えられました」
――民間での経験は市長が力を入れている企業誘致の場でも生きていますか。
「横浜市は一部上場企業がすごく少なく、大都市でありながら法人市民税が非常に少ないんです。だから大企業の本社を誘致しなければと考えました。私はダイエーの会長だったり、経済同友会にも入っていたりして、様々な企業の方とお付き合いがあり、話しやすい。次々と企業のトップに会いました。企業誘致セミナーに参加してくれた企業には直筆の手紙を送りました。京浜急行電鉄が2019年秋に本社をみなとみらいに移す予定で、ほかにも続々と企業が進出を決めてくれています」
「横浜に人を呼ぶイベントの開催にも企業の協力が欠かせません。例えば(アニメ『ポケットモンスター』の人気キャラクター)ピカチュウが市内のあちこちに登場する夏のイベントは14年から毎年続いています。昨年は(横浜を花で彩る催し)『全国都市緑化よこはまフェア』を開きました。でも行政が楽しいことにお金をかけるのは使い捨てになるのではとの懸念があり、非常に壁があります。しかし、こういう時こそトップの強い意志が必要です。実現させるには日ごろから経済界や様々な方とコミュニケーションをとり、よく話を聞く市長であることが大事です」
林文子
1965年東京都立青山高校卒。東洋レーヨン(現東レ)入社。77年ホンダの販社に入社し、1年目から売り上げトップに。87年ビー・エム・ダブリュー(BMW)東京事業部(現BMW東京)に転職。99年ファーレン東京(現フォルクスワーゲンジャパン販売)社長。BMW東京社長、ダイエー会長などを歴任し、2009年から横浜市長。
(杉垣裕子)
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