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宇宙へ飛び立つのを前に飛行服姿で記者会見した山崎直子氏(2009年12月)

宇宙へ飛び立つのを前に飛行服姿で記者会見した山崎直子氏(2009年12月)

宇宙飛行士の山崎直子氏(47)が語る母校、お茶の水女子大学付属高校(お茶高、東京・文京)時代の思い出。子供のころから宇宙への憧れを抱いていた山崎氏だが、お茶高時代に、将来はエンジニアとして宇宙とかかわろうと決意。その決断に陰に陽に影響を与えたのは、お茶高の校風やリケジョ(理系女子)仲間だった。(前回の記事は「農場実習でたくましく 宇宙飛行士生んだお茶高」

生徒の自由、自主性を重んじる校風だった。

高1のときに友達とジャズダンスのサークルをつくりました。みんなで何かサークルをつくりたかったからです。何でもよかったのですが、ジャズダンスなら広い場所も道具もいりませんし、同じ敷地内にあるお茶の水女子大学(お茶大)の学生にコーチしてもらえるめどがたったので、先生のところに「サークルをつくりたい」と相談に行きました。すると、二つ返事で顧問を引き受けてくれたのです。ジャズダンスのサークルは高2まで続け、その間、文化祭で発表したりもしました。

お茶高は校則も全然厳しくありません。制服はありますが、何色のセーターを着ようが本人の自由。髪形も自由。基本的に、何でも自由でした。

こんなこともありました。当時、学年全体で劇を見に行く授業がありました。宝塚歌劇やミュージカルを鑑賞しましたが、「レ・ミゼラブル」にすごく感動した私は、どうしてもレ・ミゼラブルの千秋楽を見に行きたくて、先生のところへ「学校を休ませてください」と直談判に行きました。

すると先生は、校則で親の署名が必要だからそうするよう私に指示しただけで、ミュージカルのために学校を休むこと自体には全然反対しませんでした。生徒が自分で決めたことは、先生も応援してくれる雰囲気がお茶高にはすごくありました。

もちろん、自由を与えられる代わりに自己責任も求められます。一番わかりやすい例が大学進学。お茶高はお茶大の付属校ですが、エレベーター式には進学できません。推薦枠は少なく、お茶大に進みたければ、他の高校の生徒と同様、ほとんどが一般受験しないといけないのです。ですから、お茶高からお茶大に進む人はそれほど多くはありません。

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