「吉本をクビになりかけた」 ケンコバ流生き残り術
編集委員 小林明
人気お笑い芸人のケンドーコバヤシ(ケンコバ)さん(46)。「学校ではカリスマ性のあるスターだった」という少年時代を経て、高校を卒業するとNSC(吉本総合芸能学院)に第11期生として入学。お笑い芸人として活動を始める。インタビュー最終回となる今回は競争の激しいお笑い界でのサバイバル術や生きざま、さらに自身のライフスタイルや結婚観などについて語ってもらった。
NSC時代からあった自信、人生を考え始めたのは30歳代から
――1992年にNSCに入学します。どんな雰囲気でしたか。
「同期には陣内智則、中川家、たむらけんじ、ユウキロックらがいましたが、回りを見渡しても自分には自信がありましたね。『自分の方が面白い』『行けそうだ』という感覚はなんとなく持っていましたから。ただ『それだけで生き残れる世界でもないだろう』ということはよく分かっていたので、『芸人なんて、いつまでできるんだろうか』と半ば冷めた感じで若手時代を過ごしてました。『まあ、行けるところまで行ってみて、もしダメだったら、諦めて肉体労働でも何でもしながら食っていこう』と割り切っていた。だから、人生について真剣に考えるようになったのは30歳代に入ってからです」
――『松口VSコバヤシ』『モストデンジャラスコンビ』などコンビの結成、解散を繰り返しますね。
「はい、そうです。『松口VSコバヤシ』は同期のユウキロック(松口祐樹)、『モストデンジャラスコンビ』は同期の村越周司と組んだコンビ。突っ込みにプロレス技を取り入れたり、シュールな変態コントをしたり、特殊な芸風でした。結局、どちらも解散してしまったのは相方との欲望の度合いが食い違ったからです。若手芸人ならば『1秒でも早く売れたい』と思うのが本音でしょう。でも僕は『ダメならダメで仕方がない』という冷めたスタンスだった。相方からすると僕のそういうあたりが嫌だったんだと思います。それで『モストデンジャラスコンビ』を解散した後、ピン芸人として活動を始めたんです」
心に残る月亭八方師匠の言葉、「実力者が運を拾うしかない」
――ピン芸人として手応えはどうでしたか。
「『もう、後戻りできる年齢ではない。やるしかない』と覚悟を決めました。これは月亭八方師匠の言葉ですが、『お笑い界で売れるためには、まずは本人に実力があるのが最低条件。そいつがさらに頑張って、運を拾うしかない』って言うんです。確かにそうだと思います。どんなに実力があっても、お笑いを辞めてゆく人間は掃いて捨てるほどいる。でも、実力がなく、運だけで勝ち残っていけるほど甘い世界ではない。それは今でも心に残っている言葉です。そう考えると、僕は運はつくづく良かった方だなと思います」
――どんなふうに運が良かったんですか。
「たとえば、千原兄弟やバッファロー吾郎、FUJIWARAら多くの先輩たちが『面白い』と僕を引き上げてくれましたが、それも運が良かったからだと思っています。先輩が見ていたときに、たまたま僕が何か面白いネタをやっていたわけですから、やはり運が良かったとしか言いようがない。大阪時代には危うく吉本興業をクビになりかけたこともあります。ここではとても言えないような過激なネタを劇場でやっていたんですが、当時の吉本興業の社長が視察に来ていて、たまたま腹痛が起きたかなにかで僕の出番だけ見ることができなかったので助かったんです。もし、そのときに社長が僕のネタを見ていたら、当時の気風から言って、間違いなく僕はクビになっていたと思います。それも運の良さと言えるんじゃないでしょうか」
なぜケンドーコバヤシと命名? ネタでもまったくのウソはつかない
――本名は小林友治(ともはる)ですが、なぜケンドーコバヤシを名乗っているのですか。
「ケンドー・ナガサキ(桜田一男)さんという僕が大ファンだったプロレスラーがおられて、そこから拝借しました。北米各地を日本人のヒールとして活躍されていた方で、一匹おおかみのような生き方に憧れていたんです。僕がピン芸人になり、会社に名前を登録する際、『おまえ、名前はどうするんだ』と聞かれたので『本名でやります』と言ったら、『それでは面白くないな』と言われたので、とっさに浮かんだ名前が『ケンドーコバヤシ』でした。結構受けたので、そのまま使わせてもらっています」
――自分の生き方に重なる部分があるんでしょうか。
「それは多少あるかもしれませんね。僕も本流には決して属したくないという生き方が好きですから」
――ネタはどうやって考えているんですか。
「基本的には人を傷付けるのが好きではありません。逆に、自分が傷付くのは好きなんですけどね……。大切なのは基本的にウソをつかないことだと思います。ネタのなかではもちろん虚実入り乱れてはいますが、全くウソを話しているわけではありません」
港区・新宿・池袋は嫌い、飛行機では日経新聞を愛読
――オフはなにをして過ごしているんですか。
「上京して10年以上たちましたが、東京で好きな場所は自分が住んでいる五反田がある品川区です。それから目黒区や渋谷区など。いつもその辺りで後輩らとメシを食っています。意外に表裏がない雰囲気なので気に入っています。よくネタに登場する五反田の飲み屋街や風俗街にも実際に行きます。僕の姿はかなり目撃されているんじゃないですか。反面、港区などには自分から進んで近寄ることはありませんね。いかにも真面目でございという芸人がチャラチャラ遊んでいるのが港区のイメージなので、どうしても好きになれない。それから新宿や池袋などの大きな繁華街も苦手ですね」
――どんなサイクルで生活していますか。気分転換などは。
「睡眠時間は4時間がせいぜいです。若いころから眠るのがもったいないという妙な気持ちがありまして、結構つらいですが、そのくらいしか眠りません。気分転換としては、仕事や旅行で飛行機に乗るとよく日経を読みますね。株式はやりませんけど、新製品とか、新車とか、不動産の最新情報が載っているので楽しいじゃないですか。結構、愛読しています。それに『日経、お願いします』と言うと、CA(客室乗務員)さんに良い顔ができますからね。だから機内ではタイガース情報が多いデイリースポーツと日経。この2つで決まりです」
自分は優しい人間、早く結婚して子どもの顔が見たい
――目標とするお笑い芸人はいますか。
「まあ、いると言えばいますし、いないと言えばいないという感じですね。もちろん、すごいなあという芸人は先輩に大勢おられるし、ああなりたいとも思います。でも、所詮、自分ではないですから。他人と自分とはやはり違います。僕がそのまま同じことをしても、ああなれるわけではありません」
――今の姿を両親はどう思っているでしょう。
「両親は今の僕を認めてくれているんじゃないでしょうか。母親からはよくこう言われます。『親族の中で一番変人だけど、一番優しいのはあんたや』って。たしかに自分でも優しい人間だと思います」
――これからの人生の目標はなんですか。
「そうですね……。もう、だいぶ遅れてしまいましたが、愛する女性と結婚したいですね。そして、自分のクローンである子どもの顔も見たい。その夢はまだ諦めていません。独身を貫くなんてこと、僕は昔から一度も思ったことありませんよ。だから良い相手がいたら、すぐに結婚すると思います」
「草食男子」「○○王子」… 日本の女性はつくづく男を見る目がない
――結婚を考えている相手はいるんですか。
「相手は過去にもたくさんいましたが、すべて断られてしまいました。他人からどう見えるかと気にされたら、僕はなかなか厳しいですよ。でも、そんな考え方ってつまらないじゃないですか。僕が理解できないのは、日本の女性につくづく男を見る目がないこと。『草食男子』とか、『なんとか王子』とか、軟弱な男子がもてはやされる風潮には無性に腹が立ちます。こんな現象が起きているのは日本くらいじゃないですか」
「先日、ロシアに行ったら、『おまえの体はまだまだ細すぎる。男ならもっと熊のように大きく、たくましくなれ』と言われました。男ってそういうものですよね。僕もジムに行って、肩、胸、腕、背中、足とウエートトレーニングを続けていますが、残念ながら、年齢のせいか筋肉がなかなか大きくなりません。でも、やっぱり強くて頼りがいのある男がもてる世の中であってほしい。少し古臭いかもしれませんが、そう思います」
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