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日清戦争後の英国ブーム 日本ウイスキー開発の原点に

「世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(20)」

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スコッチウイスキーを日本で造ることは、近代日本の最終到達点だったと思う。日本はスコットランドの支援もあって工業化に成功し、産業大国になる。酒は産業であると共に文化でもある。スコットランドの国酒スコッチウイスキーへのチャレンジは、産業化の後の文化構築のようなものであったかもしれない。

スコットランドは工業技術とウイスキーだけでなく、人材も輩出した。多くのスコットランド人が海外で大英帝国の先兵となって活躍した。スコットランド人同士の絆も固かった。

英国が日本と接触したのは1854年で、幕府との交渉を始めている。日英和親条約は米国に半年間の後れを取ったが、日英修好通商条約以降は米国にほぼ肩を並べる。そしてトーマス・グラバーのすさまじい活躍が始まる。

1838年、東スコットランドの港町フレーザバラで生まれ、中心都市アバディーンでの学業を終えると、グラバーは1859年上海にやってくる。そこで、当時世界最大の商社であったジャーディン・マセソン商会に入社し、同年長崎支店長として赴任する。その2年後に同商会の代理店として独立し、自らのグラバー商会を設立する。西国雄藩と幕府への軍艦、武器、弾薬などの兵器ビジネスを手がける一方、1863年には伊藤博文、井上馨ら長州の5人の藩士を、翌年には薩摩の19人の藩士を密出国させ、ロンドンに留学させる。坂本竜馬とも厚い信頼関係で結ばれ、反幕勢力の結集に大きな力となる。

日本初の蒸気機関車走行、アバディーンから部材を運び日本初の洋式ドック建設、長崎の高島炭鉱の開発など、日本の近代化、工業化に役立つ多くの文物を日本にもたらした。

明治維新以降は三菱の顧問として、同社が日本最大の企業グループに発展するのを支援した。1884年に破綻した外資系ビール工場をキリンビールとして再出発させたのもグラバーである。

ここで、日本ウイスキーのタイプがスコッチになる必然性について考えてみよう。日本がスコットランドに魅せられる出来事があったのではないか。

例えば、日本最初の高等工業教育機関、工部大学校。そこでの教育は、グラスゴーのアンダーソン・カレッジやグラスゴー大学工学部という、当時世界で最も進んだ大学と同一かそれ以上のレベルのカリキュラムに基づいていたと言われている。

大学校に学んだ学生たちは工業技術と共に伝えられた1つの思想を受け入れていく。その思想とは「エンジニアの思想」であった。フィールドワークを通した実学と大学での基礎科学の両方を学び、より普遍的で合理的なやり方を考案していく。その仕事を使命とするのが「エンジニア」で、社会の変革と発展を担うリーダーであるというスコットランドの考え方である。日本における理科系学部の地位の高さをもたらした動機となったと言えるかもしれない。

工部大学校の各学科の首席はグラスゴー大学、アンダーソン・カレッジを中心に、英国の大学に留学する制度もあった。「エンジニアは専門職で社会的に尊敬されるべき職業」に、行き場を失った士族が押し寄せた。スコットランド系お雇い外国人や、グラバーのようなスコットランド系実業家の明治維新後の日本での活躍そのものが、日本人の価値観の基準を英国(スコットランド)へと動かした。先進国の間で最も短期間に産業革命を成し遂げ、工業国へと成長した日本の原点は、明治維新前後の日本とスコットランドの交流にあると言ってよいだろう。しかし、そのことは今ではすっかり忘れ去られて、残っているのは「スコッチタイプのウイスキー」と「蛍の光」と「ゴルフ」くらいのものではないだろうか。

山崎蒸溜所が動き出してもう少しで100年になる。

文献にはほとんど記述がないが、明治維新からしばらくは輸入通関量が1位だったブランデー、そしてリキュールは明治30(1897)年代にはスコッチウイスキーに置き換わっている。日清戦争勝利の後の1902年には日英同盟が締結される。世界最大最強の国家、大英帝国との対等な同盟。それは日本国中で英国ブームを巻き起こした。スコッチウイスキーは日本において、単なる高級酒以上のもの、発展の輝くシンボル、大国のステータスの象徴となっていった。製造工程が複雑で、原酒在庫の費用負担が莫大と言っても、現に大英帝国ではつくられているのだ。日本は明治維新から40年で自前の軍艦をつくることができるようになったのだ、できないはずはない。こう鳥井信治郎は考えたのではないか。

大英帝国ではスコッチウイスキーが破竹の勢いで伸びている時期であった。1860年の酒税法改定で公式に認められたブレンデッドウイスキーはその味わいの多彩さと飲みやすさで消費者の支持を集めた。1880年、伝統的な製法と味わいにこだわっていたアイリッシュウイスキーを生産量で抜いてナンバーワンになる。

1863年からヨーロッパを襲ったブドウ根アブラムシ(フィロキセラ)の被害でワインやブランデーの供給が落ち込んだ間隙を突いて、ロンドン市場を席巻し、ヨーロッパ大陸へも輸出されるようになった。

長州の5人や薩摩の19人が英国に渡ったのは、まさにそのようなタイミングであった。

スコッチウイスキーは一般大衆にとっては高根の花ではあったが、第1次世界大戦を契機に成長した日本経済はウイスキーをあがなえる経済力をつけてきた。模造ではなく、本物のつくり方でつくられたウイスキーへの需要が起きてきたのである。

こうして1923年から山崎蒸溜所の建設が始まり、翌年完成し稼働を開始する。驚くのはその規模で、当時の金で200万円、今の貨幣価値が当時の3000倍とすると60億円かけて蒸溜所を建設し、生産能力は当時のスコットランドのやや小振りの蒸溜所くらいという恐るべき強気の設定になっていた。

実は信治郎には大きな強みがあった。スコッチウイスキーで大成功したブレンダー達と同じ、非常に重要な職業経験を蓄積していたのだ。ワインマーチャントとしてのブレンド経験である。フランスとの同盟関係がスコットランドにもたらしたワインは樽(たる)で運ばれてきた。スコットランドのワインマーチャントはそれらをブレンドして顧客の求める味わいを安定的に供給する能力を磨いた。

ブレンデッドウイスキーを公式に生み出したアンドリュー・アッシャーをはじめ、現在売上高世界No.1のジョニー・ウォーカーを造りだしたジョン・ウォーカーも、ジョージ・バランタインもシーバス兄弟もジョン・デュワーも皆、ワインマーチャントであった。スコッチウイスキーの章で、スコッチウイスキーとフランスワインの関係を紹介したが、信治郎は1907年、甘味果実酒、赤玉ポートワイン(現赤玉スイートワイン)を発売する。圧倒的シェアを持つ神谷伝兵衛の蜂印香竄葡萄酒との厳しい売上競争を経験し、未知の製品の市場を開拓する方法論や日本人の味覚について深い経験と洞察を身に着けたのだ。

赤玉は、ヨーロッパ系ブドウ品種ワインとの味わいの差異が指摘されることがあるが、タンニン様やジューシーなど赤ワインに必要な骨格は備えている。現代の味覚や好みからすれば甘さが強いとの指摘を受けるが、甘味果実酒にはこの甘さは必須であった。

私はこの赤玉がもたらした日本人の飲酒習慣への影響を再評価すべきではないかと感じている。この赤玉ほど普及した洋酒製品はないのではないか。

1953年生まれの筆者が覚えている光景がある。暗く狭い台所。その水屋の下の棚に置かれた赤玉の瓶で、多分3歳くらいの記憶だ。熱が出た時、お湯で薄めて母に飲ませてもらったこともある。近所の知り合いの家にも、小学校や中学、高校で遊びに行った友人たちの家にも赤玉はあった。

山崎蒸溜所は1924年に動き出した。スコットランドに留学し、信次郎に雇われた青年が現地で実感した「本物のスコッチを実現するためには、スモーキーでなければならない」を実行し、スモーキーモルトの在庫量が増えていく。信治郎は、赤玉の開発の中で渋み、えぐみ、苦みが日本人にとっては受け入れるのが難しいことを熟知していたはずだ。だがスモーキーに由来するその難題の味わいを持った原酒を使う日が訪れた。1929年の「サントリー」の発売である。「白札」と呼ばれたこの製品は全く売れなかった。しかし、信治郎はあたかも修行僧のように様々な新製品を世に問うている。彼はひたすら信じていた、樽熟成の奇跡を。

前回「薩長の英国留学生 スコッチウィスキーと出合ったのか」は「サントリーウイスキーローヤル」を傑作CMと共に紹介した。今回は、私がウイスキーメーカーの一員としての一歩を踏み出し、これまで2回勤務した白州蒸溜所のウイスキーを紹介したい。

「サントリーシングルモルトウイスキー 白州」をロックで。

1980年12月、新入社員研修を終了した私は、この蒸溜所での勤務を開始した。12セット、24基の蒸溜釜には度肝を抜かれた。さらに蒸溜釜が増え続ける。同じ敷地内で翌年完成した第三蒸溜所の6セット12基が加わった。モルト蒸溜所としては、世界最大、比類ない規模となった。日本のウイスキー産業が数量の頂点に達した時期であった。

一方、1984年からウイスキーの需要は落ち始めたこともあり、第三蒸溜所に未来を託した。エール酵母併用、木桶(おけ)発酵、直火蒸溜、アメリカンオークの古樽貯蔵。白州原酒はその自然環境を映したように新緑の香り、爽快な果実香が漂う。フルーティーでコクがあり、後口はキレがよい。

設備との対話、原料との対話、酵母との対話を欠かしたことはない。例えば「白州」のミントを思わせる香りはスモーキー麦芽由来だろう。このウイスキーのいつも寄り添ってくれるやさしく温かい味わいと爽快な香りは、励ましと明日への希望をくれる。やさしい酔いとともに。

(サントリースピリッツ社専任シニアスペシャリスト=ウイスキー 三鍋昌春)

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