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ケンドーコバヤシ、読書好きの原点は「呪われたお堂」 編集委員 小林明

2018/6/22

「その本棚には手塚漫画のほか、スポ根漫画や大人のエッチな漫画、雑誌もたくさんあって、まさにお坊さんの煩悩が詰まったコレクションです。とても人間味のある住職さんだったと思いますね。座り心地の良いイスがあったのでそこに座り、小学校2年から6年くらいまで、手当たり次第に本棚の漫画や雑誌、本を読みふけっていました。梶原一騎原作の過激な劇画にもはまりましたよ。そこで人間というものについて色々と深く考えさせられました。今でも感謝しています。そんな読書体験が、僕の人格形成に大きな影響を与えた気がします」

■人気投票でラグビー部主将に、実務を副主将に任せる象徴リーダー

――高校時代(私立初芝富田林高校)はラグビー部の主将だったとか。

「あれは単純に人気投票で決まったんですよ。面白いとか、スケベとか、力が強いとかいう理由で、僕に人気がありましたから。リーダーシップがあったからではありません。むしろ副主将になったやつの方が真面目でリーダーシップがあって、実務を担当してくれました。ナンバー2が組織を動かすと全体がうまく回るものです。僕の場合はまさにそれ。完全に象徴としてのリーダーでしたね」

――ラグビー部は強豪だったのですか。

「それほど強くはなかったです。初戦で負けるようなことはありませんでしたが、せいぜい3回戦止まり。上には上があるものです。大阪のラグビーのレベルがとても高いので、もしほかの地域だったら結構強かったかもしれませんが、大したことはなかったです」

――自分を改めて自己分析するとどんな人間だと思いますか。

「そうですね……。分かりやすく言うと、『用心棒』的な立ち位置でしょうか。黒沢明監督の映画『用心棒』があるじゃないですか。その主役の三船敏郎さんのようなイメージです。なかなか格好いい位置にいるんですよ。『先生、お願いします』なんて頼まれて、『よし』と刀をつかんで出て行くみたいな。いつもそれは自負しています。集団の首脳陣というよりも、少し外れている立ち位置が心地良いんです。代打屋的な立場が好きなんでしょうね。中心そのものではないが中心近くにはいる。昔から空手や柔道など武道をやっていたのと関係があるかもしれません。これは悪い癖ですけど、『死ぬことだけはないだろう』という根拠のない自信だけはありました」

■少年時代と変わらない立ち位置、バイト先で誘われてNSC第11期生に

1992年に第11期生としてNSC入学。若手時代のケンコバさん

「よく昔の友人と飲んだりすると、『おまえの立ち位置は小学校のころからまったく変わらないな』と言われますね。なんでも好きにできる位置にいると……。お笑い芸人として話している内容も『当時と大して変わっていない』と言われます。だから僕は良く言えば、昔からまったくぶれていない。悪く言えば、まったく成長していないということになります」

――なぜお笑い芸人になったのですか。

「ラグビーは好きだったし、大学から誘いもあったので、大学に進んでラグビーを続けることはできたんでしょうが、とにかく練習が嫌いだったんですよ。大学まで行って、また走らされるのはかなわないと思っていました。そもそも僕は大学には行く気がなかったし、それまでに色々な人からお笑い界に誘われ続けていましたから……」

「中学でも『高校に行かずにお笑いに行け』と言われましたし、高校でも同様でした。最後はバイト先でも誘われて、ついに吉本興業に入ったんです。まあ、自然の流れですね。当時は吉本くらいしか選択肢はありませんでした。NSC(吉本総合芸能学院)に第11期生として入ったのが1992年。同期には陣内智則、中川家、たむらけんじ、ユウキロックらがいました」

(競争の厳しいお笑い界でどうサバイバルするのか? インタビュー最終回は7月6日に掲載します)

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