パラパラチャーハン作れないのはダメ人間? 男の挑戦
男のチャーハン道(1)
パラパラのチャーハンを作れないのは「ダメ人間」であるーー。そして著者の探究は始まった。火力はどうする、卵コーティングは正しいのか、油の量は、鍋は、具材は……。苦節数年、誰もが家庭で「パラパラ」にするカギが、ある身近な食材にあることを突き止める。日本経済新聞出版社の新書、日経プレミアシリーズ『男のチャーハン道』から4回にわたり、絶品チャーハンの作り方をお伝えする。
チャーハンといえば「パラパラ」。その軽やかな食感を実現するには、強い火力で中華鍋をあおることが不可欠‐‐。そんなふうに思ってきた。
強力な業務用コンロに中華鍋をセットし、油慣らししたのち、適量の油を加える。よく溶いた卵を入れ、ひと呼吸おいてご飯を投入。鉄製の中華おたまでご飯をほぐすように混ぜ、中華鍋を前後に動かしてあおる。細かく刻んだ具を入れ、さらにあおって飯粒を宙に踊らせつつ、パラパラに仕上げるのだ。
中華料理店やテレビで目にする、プロの料理人たちの迷いのない鍋づかい。厨房に勢いよく立ちのぼる炎。中華おたまで激しくかき混ぜる動き……。飯粒が舞い踊る姿が、パラパラなチャーハンのイメージと直結しているのだ。
中学時代、当時学校でブームになっていた『美味しんぼ』という漫画にチャーハンが登場したときのことは、いまも鮮明に覚えている。まさに「強い火力で鍋をあおる」ことをテーマにした内容だった。
強い火力でチャーハンをあおることのできない気弱な中華料理人が、その回の登場人物だ。彼が中華街の大物から、「炒(いた)め物の基本であるチャーハンすらまともに作れないやつは、料理人失格だ!」みたいな感じで叱責される。まるで彼の人間性まで否定するようなダメ出しっぷりが、強く印象に残った。
「直火の威力」と題された回が収録されているのは『美味しんぼ』第4巻。単行本の発売は1985年なので、私が16歳のときだ。当時はリアルタイムで雑誌『ビッグコミックスピリッツ』を読んでいたはずだから、私が「直火の威力」を読んだのは、その少し前、たぶん中学2年のころではないか。
思春期の心になにより刻みつけられたのは、この「チャーハンをパラパラにできない人=ダメ人間」的な思想である。
おいしいチャーハンを作れないというだけで、料理人の性格や人間性まで全否定されてしまう。どちらかというと気が弱かった(いまもそうだが)私は、おいしいチャーハンを作れないやつ=意気地なし、という決めつけに戸惑った。
それと同時に、ものすごく焦ったのだった。パラパラのチャーハンを作れないと、「馬脚をあらわした」だの「イジイジかき回して」だの、そこまでいわなくていいのに……というぐらい罵倒されるのだと。
実際のところ、ただの中学生だった私が焦る必要などべつになかったのだ。しかし、長じて料理研究家になってからは、思春期に胸の奥に刻まれたこの焦りが、ある種の強迫観念に変わった。チャーハンはパラパラに仕上げなければならない。さもなくば料理研究家として全否定される。そんな気分があるのだ。
強迫観念がすくすくと育ったのには、もちろん理由がある。そう、私はいまにいたるまで、自分の作るチャーハンに満足できないのである。
もちろん私は『美味しんぼ』で描写されたような、業務用コンロの強力な火力を手にしていない。家庭用コンロで作るだけだから、どうやってもお店で食べるもののようにパラパラには仕上がらない。それどころか、ご飯がベチャベチャになって、くっついてしまうことも多かった。
いつか偉い人から「ふん、馬脚をあらわしたなっ」と指摘され、料理研究家生命に終止符が打たれるのではないか、とおびえてきたのだ。
パラパラチャーハンを作れないまま、私は青春時代をすごした。小学生のときから料理が好きで、中高時代もしょっちゅう自分でチャーハンを作っていていたが、満足できるものはついぞ作れず、いまにいたっている。「いつか炎の主人になってやる!」との思いだけはあったが、果たせなかった。
『美味しんぼ』の登場人物から「気が弱い」と叱責されっぱなしの人生。しかし、四十代も終わりに近づいたいま、この負け犬根性を克服すべく、おいしいチャーハン作りに取り組むことにしたわけである。
日経プレミアシリーズ『男のパスタ道』で、私は「分ければわかる」と書いた。パスタをグルテンとデンプンに分けたし、さまざまな塩分濃度でゆで方を場合分けした。実際、そうやって分けることで、新しい景色が見えてきた。しかし、チャーハンの場合は分ける方法論が通用せず、途方に暮れた。
まず炒めるというのが、ゆでることほど単純ではない。水は沸騰すれば、どこをとってもほぼ均一に100度なので、比較実験がしやすい。しかし炒める場合は、火口からの距離や鍋の材質や厚み、コンロの火力、炒める材料の状態によって、刻一刻と温度が変わっていく。比較に耐える「同一の条件」を用意するのが難しいのだ。
人為的な部分で難しい面もある。たとえば中華おたまの動かし方にしたって、毎回同じようにやっているつもりでも、どうしてもランダムになってしまう。当然、飯粒や卵への熱の伝わり方は、毎回変わってくる。それによってご飯と卵や油がどの程度からむかも変わるので、味や食感が変わる。そうして作ったふたつのチャーハンを前に、「本当に正確な比較ができるのだろうか?」と悩んだ。
すべてが連動している。まるで生態系のようにたがいに影響を及ぼしあって、最終的に美しく、おいしいチャーハンに仕上がるのだ。そのアツアツのチャーハンが内包する生態系は、まるでジャングルのそれを思わせる。中華鍋のなかは灼熱(しゃくねつ)の世界で、渾然一体(こんぜんいったい)として、動的だ。
本書ではごくシンプルなチャーハンを作ることにしたので、材料は油とご飯と卵とネギだけだ。関係する要素が少ないぶん、分析しやすくなる。それでも実際に取り組んでみると、実にややこしく複雑で、悩ましいのである。
変数が多く、要素が連動しているため、試食による比較が難しい。
しかも、2種類のチャーハンを同時に仕上げ、両方ともできたての状態で食べ比べることができない。炒める作業は専念せざるをえないので、パスタやハンバーグのように同時にふたつ作ることができないからだ。それゆえ、『男のパスタ道』『男のハンバーグ道』でやってきた二重盲検スタイルの食べ比べも難しい。
連続して鍋を振り、なんとか比較できそうな2種類のチャーハンを作っても、今度は、前2作で試食タイムに大活躍してくれた子どもたちがあまり頼りにならない。小学校高学年で育ち盛りの長女は、たいてい「両方おいしい!」という。中学生になった長男は「どっちもまあまあじゃね?」(とつぶやきつつ、「もっとないの?」とおかわりを要求)という感じで、あまり参考にならないのだ。
そんなわけで本作では、主として自分の味覚を頼りにし、悩みつつ、主観的に判断していった。
試行錯誤をくり返しているうち、ずいぶん時間がたってしまった。『男のパスタ道』『男のハンバーグ道』と2年続けて出したあと、「世界一長いレシピ」シリーズ第3弾までかなり間が空いたのは、これが理由である。
実は、チャーハンの「複雑さ」を前に怖気けづき、出版をあきらめかけたこともある。それでも結局、灼熱のチャーハン・ジャングルに戻ってきたのは、「行けばなんとかなるかもしれない」という悲壮な楽観主義にすがったからだ(もちろん、私の遅筆で多大な迷惑をこうむっている編集者が、逡巡(しゅんじゅん)している私のうしろで「そろそろいいかげんジャングルに突撃しろよー」と、にらみつつ念じているせいもある)。
ただし、素手でジャングルに踏み込むのは、あまりにも無謀だ。少なくともこの冒険には、ジャングルでサバイブするための道具が必要だろう。道具を探す旅の過程で、チャーハンをパラパラにするには何か必要なのかが、少しずつ見えてきた。
そして、ようやく得られた道具をなんとか使って、実際にチャーハン作りに取り組んだ。
試行錯誤しては書き、また試行錯誤するということをくり返しながら、ちょっとずつ前に進んできた。しかし、実は執筆が終盤にさしかかっても、明確な答えが出せずにいた。「これでは出版できないかも?」と焦りに焦った(なんだか焦ることが習い性のようになってしまっている)。
ところが、そんな焦りのピークで予期せぬ発見があり、家庭用コンロの弱い火力でもパラパラチャーハンが作れる方法を見いだすにいたった。『美味しんぼ』に怒られてから30年を経て、私は晴れて「チャーハンをパラパラにできる人」に変身できたのだ。
次回以降、パラパラチャーハンへの道を突き進む著者の奮闘ぶりをお伝えする。
ライター 1969年東京都生まれ。慶応大学経済学部卒業。出版社で週刊誌編集ののち寿退社。京都での主夫生活を経て、中米各国に滞在、ホンジュラスで災害支援NGOを立ち上げる。その後佐渡島で半農生活を送りつつ、情報サイト・オールアバウトの「男の料理」ガイドを務め、雑誌等で書評の執筆を開始。現在は山梨に暮らしながら執筆活動を行うほか、小中学生の教育にも携わる。著書に『なんたって豚の角煮』『男のパスタ道』『男のハンバーグ道』『家飲みを極める』などがある
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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