羽田氏が愛した元祖クールビズ 老舗が込めた創意工夫
今や日本の夏の装いとして、すっかり定着した感のある「クールビズ」。2005年に始まった「地球環境対策の一環としての夏の軽装運動」だが、今から遡ること約40年前、「元祖クールビズ」とも呼ぶべき取り組みがあったことをご記憶だろうか。「省エネルギールック」。そう、あの半袖スーツのことだ。特徴的なフォルムもあって、いつしか忘れ去られていったが、そこに込められた思いには熱いものがあった。
省エネルックがお目見えしたのは1979年。第2次石油ショックを受け、当時の大平正芳内閣が提唱したのが始まりだ。省エネ対策として、政官が盛んにPRしたものの、定着には至らなかった。そうしたなかにあって、後に首相となった羽田孜氏(1935~2017年)がこだわり、愛用し続けていたことをご記憶の方も少なくないだろう。
その舞台裏をよく知るのが、1894年(明治27年)創業の老舗メーカー、カインドウェア(東京・千代田)の渡辺喜雄会長だ。
渡辺氏が羽田氏のために省エネスーツを仕立てるようになったのは1991年、羽田氏が宮沢喜一内閣で蔵相に就任してからという。「羽田氏とは親戚関係にあった」というのがきっかけだ。
それ以前から、羽田氏は半袖スーツを愛用していた。「熱烈な支持者でもあった地元の洋品店店主からプレゼントされた」(渡辺氏)というのが理由だった。
とはいえ、その半袖スーツはウエストの絞りもなく、どちらかといえばヨレヨレ。「蔵相がそんな姿を人前にさらすのはいかがなものか」と、蔵相秘書官から相談を受けたという。そこで、渡辺氏が羽田氏をこんこんと説得。「きちんとした半袖スーツを私が仕立てます。その方が周囲の期待にも応えられます」。地元支援者の気持ちを思ってか当初は固辞した羽田氏だったが、1時間後、ついに首を縦に振った。
■老舗の縫製技術を駆使
渡辺氏が半袖スーツをデザインする上で基にしたのが、米海軍の半袖スタイルの制服やインド、東南アジアのファッションだった。英国王室御用達の老舗テーラー、ハンツマンと技術提携していたカインドウェアの縫製技術を駆使し、試行錯誤を重ねた末にようやくスーツを完成させた。
羽田氏は蔵相時代や首相在任当時、地元と東京にそれぞれ半袖スーツを用意し、よく着ていたという。
羽田氏が愛用した半袖スーツはウール中心で、一部麻や綿を混ぜた素材も使ったという。「とにかく、シワになりにくいよう配慮した」と、渡辺氏は振り返る。色味は濃紺やモスグリーン。襟付きや立ち襟のもの、二つボタンや五つボタン、ポケットはフラップ付きや付いていないもの――。「納品した半袖スーツのタイプは計十数種に上った」
カインドウェアには現在、半袖スーツのサンプルが1着だけ残っている。五つボタンで服のラインが美しい。裏地もメッシュで、布端がほつれないようにパイピングを施しており、「お仕立て感」満載だ。通常のスーツの約1.3倍の時間がかかる、というのもうなずける。
「各国を代表する人と面会しても、決して見劣りしないようにと心がけ、一着一着丁寧に仕立ててきた」と渡辺氏は語る。
羽田氏が訪米議員団の一員として、キャンプデービッドに招待された際のことだ。ほかの議員がみな普通のスーツ姿の中、羽田氏はただ一人、半袖スーツを着用したという。「軍人はみんな半袖だったから、自分は気分がよかったよ」。帰国後、うれしそうに話してくれた羽田氏の姿を渡辺氏はよく覚えている。
羽田内閣は1994年4月に発足し、その年の6月末に退陣する短命内閣だった。半袖スーツは羽田氏の長男、羽田雄一郎参院議員が一時期着用し、イタリアの高級ブランド、エルメネジルド・ゼニアのセカンドライン「Z(ジー)ゼニア」が2013年春夏メンズのショーで発表するなど、時折思い出されたように言の葉に上ることもあるが、街中で見かけることはほぼ皆無となって久しい。
■ファッションはポジティブが一番
「省エネルックは節電という後ろ向きな要素だったり、政治主導的な要素があったりした。羽田氏は信念の人だったから、半袖スーツにこだわり、愛用されてきたが、ファッションはやはりポジティブでないとダメ」。省エネルックが短命に終わった要因を、渡辺氏はこう分析する。
カインドウェアは現在、半袖スーツの生産は行っていない。
(堀威彦)
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