150年存続の秘訣「スモール・イズ・ビューティフル」神戸・元町の柴田音吉洋服店(下)

――150年の歴史の中では何度も経営危機に遭遇したと思います。

「大きな危機は4代目社長、柴田高明の時代の第2次世界大戦と敗戦でした。店舗は空襲で全焼しましたが倉庫ビルは残りました。独占契約を結んでいた英仏の毛織物商社、ドーメルと1947年(昭和22年)から取引再開できたのが立て直しの転機になりました。ドーメル社も倉庫をスコットランドに移転していたおかげで、ドイツのロンドン空襲の被害を免れていたのです。ヨーロッパからプレタポルテやネクタイ、ハンカチーフなどの輸入販売をいち早く手掛けたのも業績に貢献しました」

明治の作業風景

「第2の危機は私が経験した阪神大震災とバブル経済の崩壊です。輸入布地部門などから撤退してビスポーク中心にする一方、軽量で形崩れしないジャケットなどを開発して展開しています」

――長い歴史を持つ会社を経営するにあたって心掛けていることはありますか。

「まず『スモール・イズ・ビューティフル』を旨に経営しています。過去には年商約80億円程度の時代もありましたが、いっとき東京に設けた以外、神戸のほかに拠点を持ちませんでした。他方、国際的なファッション業界の動向は常に情報収集しています。私も年4回は海外市場を視察していました」

「ただビスポーク単独で事業を継続していくのは難しい。時代に合ったサイドビジネスが必要になります。2代目はマッチ製造を展開していました。私は不動産関連の事業を手掛けています」

「本業についていえば、小さい規模でも中身を満たさせるために生地は買い取り、製品の委託販売は行いません。また、パートは雇用しません。企業は存続することが最優先課題です。150年間、無借金経営を続けています」

(聞き手は松本治人)

前回「最初の顧客は伊藤博文 明治元年からスーツづくり 」もお読みください。

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