パリでなく箱根で勝負する 一つ星シェフ金山氏の選択
ガストロノミー最前線(8)
東京とパリで25年間働いた後、自然の近くで料理する道を選んだ。箱根にあるホテルの総料理長という立場の傍ら、館内の少人数限定レストラン「ベルス」で腕をふるう。作るのは、都市の喧噪(けんそう)から離れてこそ心に響く料理だ。
「パリのレストラン界は日本人に支えられている」とフランス人が公言してはばからないほど、パリにおける日本人シェフの活躍は目覚ましい。以前なら2番手になれてもシェフになるのは難しかった。それが次々とシェフの座に就くようになった。最近では業界の動向を左右するポジションまで占める。下支えからリードする側へ立場を移したと言ってよい。
「ハイアット リージェンシー 箱根 リゾート&スパ」で腕をふるう金山康弘さんもそんな一人だった。2010年にシェフを任されるようになり、12年にはミシュランの星を獲得した。しかし、13年に帰国。パリではなく日本で料理する道を選んだ。同ホテルの総支配人から直々に口説き落とされたからだが、「子供が生まれることになり、日本に帰ろうとしていたタイミングでもありました」。
食材に語らせる料理
帰国を決心した理由のひとつに箱根という場所がある。「自然の近くで料理がしたいと思うようになっていたのです。食べ手がリラックスした僕の料理と向き合える環境が望ましいとも感じていました」
金山さんが料理について語る時、度々、「素材の奥にある味」という言葉を使う。素材の奥深くに潜む、ややもすれば見過ごしがちな、調理次第では覆い隠してしまいがちな味。それをいかに引き出すかが金山さんの身上なのだ。ワインのテイスティングでグラスの中から多種多様な味や香りの要素をすくい上げる、あの感覚に似ている。たとえば、「ビーツにはトウモロコシの味がある」と金山さん。
彼にとっての調理とは、素材に内在する味や質感の要素を捕らえ、何を引き出し、どう提示するかだ。どの程度の塩をして、どのくらいの温度のどんな性質の熱を加えれば、要素が表に現れてくるのか。鳥類の肉なら60~70℃でゆっくり火入れすると、緻密で滑らかな肉質が潤いを保ったまましっとり仕上がる、といったように。冒頭の写真の料理は手長海老だが、「生のままサーブし、客席で熱いブイヨンをかけると、熱が入っていく過程の味と香りを舌の上でキャッチしてもらえる」。
手長海老、ハーブ、パルメザン。生の手長海老に熱いブイヨンをかけ、皿の上で熱を入れていく。ブイヨンは、手長海老の手を乾かすようにオーブンで焼いて水と白ワインで煮出ししたもの。「素材が良いからこそ許される、極めてシンプルな料理法です」
食材には個体差がある。産地や生産者が同じでも、日々の状態が同じことはない。「露地ものの有機野菜などは、雨が降った翌日には別物になる。毎回、一つ一つの味を見て、調理の組み立てを考える」というほど、金山さんの料理はデリケートだ。彼が「リラックスして料理と向き合える環境」を望むのは、そんなデリケートさに対して、食べ手が身も心も解放された状態で、五感をフル稼働させてほしいから。そのためには、都会より自然の近くがいい。
自然や風土への畏敬
今、箱根にいて、少し足を伸ばせば相模湾の良い魚が手に入る。「伊東はサワラ、三浦はメヌケがいい」。富士の裾野に行けば、「水が湧いていて、クレッソンが繁り、ミョウガがあちこちに生えている。ここは、料理人としての感覚を鋭敏にしておく上でも良い環境です」。
金山さんの中にあるのは、料理を続ける中で次第に芽吹いた自然や風土への畏敬の念。それは、帰国するきっかけとなった子供の名前にも表れている。「自然の名前を付けたくて、琥珀と名付けた。昨年生まれた2番目の子は葵です」
帰国から3年。日本の食材にも生産者にも顔なじみができた。料理はいっそう繊細さと洗練を増した。これからがいよいよ本領発揮である。
神奈川県足柄下郡箱根町強羅1320
Tel 0460-82-2000(代)
18:30~20:00LO
不定休
1万8000円(税サ別、完全予約制)
文=君島佐和子 写真=加藤純平
「料理通信」編集主幹。「Eating with Creativity」をキャッチフレーズに、食の世界の最新動向を幅広い領域からすくいあげている。
[日経回廊9 2016年8月発行号の記事を再構成]
前回掲載「ハレでおしゃれでも普段使い 兼子シェフの食スタイル」もあわせてお読みください。
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