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握りずし 始まりは江戸っ子のホットドッグスタンド30の発明から読む日本史(4)握り寿司=文政年間(1818~1830年)

江戸時代の寿司店の屋台 テイクアウト形式で、客は持ち帰って食べるか、購入したあとすぐ食べていた

このころマグロが獲れすぎて非常に安くなったこともあって、寿司ネタとして使ってみたところ、意外に人気が出たといわれています。

ただし、天保年間から明治時代の半ばまでは、醤油に漬ける“ヅケ”として握られる、脂肪の少ない赤身が好まれました。

脂肪の多い部分が好まれるようになるのは関東大震災以後のことで、トロに人気が出るのはようやく昭和初期からのことなのです。

進化を続ける日本食の代表

大正12(1923)年、マグニチュード7.9を記録した関東地震で東京が壊滅的な打撃を受けたこともあって、東京で働いていた寿司職人の多くが故郷に帰り、握り寿司が全国に広まるきっかけになったといわれています。

握り寿司が寿司の主流となったのは、第2次世界大戦が終わってからのことです。終戦後の統制時代に、わずかな配給米を寿司と交換する制度が敷かれたことがきっかけです。内訳は、握り寿司5貫と巻き寿司が5切れで1人前でした。これによって、地方の都市部の人々は少しずつ握り寿司に慣れていき、握り寿司が全国に広がっていきました。

しかし、地方で握り寿司が食べられるようになるのは、昭和30年代以降まで待たなければなりませんでした。冷凍技術が向上し、交通網も発達したことで、新鮮な魚介類が流通可能となったからです。

こうして、全国どこででも握り寿司を食べられるようになったのです。

立ち食いの屋台からはじまった寿司店は、明治時代になると店の中で座って食べられる「内店」が増えていきました。ファストフードとしての寿司と、高級なネタを扱う店とが次第に分かれていったのです。

やがて屋台の寿司店は姿を消していきました。

昭和時代は高級なイメージを保っていた寿司ですが、誰もがごく気軽に食べられるようになったのは、持ち帰り寿司店や回転寿司店の誕生がきっかけといって良いでしょう。

世界初の回転寿司は、昭和33(1958)年、布施市(現・東大阪市)にオープンした元禄産業の「廻る元禄寿司1号店」です。元禄産業の創設者・白石義明はビール工場で使われているベルトコンベアにヒントを得て「旋回式食事台」を開発しました。

その後、昭和45(1970)年に日本で開催された万国博覧会に出店したことで全国から注目を集め、低価格と料金の明示を武器に定着していきます。昭和50年代からは、大手チェーンが参入し都市部を中心に出店していきました。

世界に広がる握り寿司

寿司は、今では世界各地で食べられています。日本人の健康寿命が75歳ということが世界的に注目されており、和食を代表する寿司はヘルシーな食べものとしてもてはやされています。

コシヒカリ(左)とカリフォルニア米 コシヒカリをはじめとする日本の米は「短粒種」、カリフォルニア米はやや細長い「中粒種」。 (C)Richardchoitt2015

海外での最初の寿司ブームは、アメリカだったようです。安価なカリフォルニア米があったからでしょう。

日本からの移民の努力もあって、昭和37(1962)年に「国宝ローズ」という、寿司にも使うことができるカリフォルニア米が誕生しました。

その後、アメリカでは、「あきたこまち」や「コシヒカリ」の栽培も行われており、イタリアやスペインでは「あきたこまち」が、栽培されています。

日本だけでなく、世界で本格的な握り寿司が食べられるようになっています。

【寿司のこぼれ話】
神様に供えるドジョウすし
滋賀県の三輪神社には、古来、氏子たちによってドジョウの寿司が供えられています。
言い伝えによれば、三輪神社の神の使いは白蛇であり、かつて例祭に人身御供を要求したことがあったとのことです。
氏子たちは、人身御供の代わりに、「生きたドジョウ」を7カ月以上漬け込んだドジョウすしを捧(ささ)げることになったのです。いつからはじまったのかは定かではないようですが、1000年以上もドジョウすしが神様に供えられています。
ドジョウすしは、かつては日本各地で作られていたようですが、現在も作り続けているのは、このお供え用だけとなっています。
池内 了 監修『30の発明からよむ日本史』(日本経済新聞出版社、2018年)から

30の発明からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

監修 : 池内 了 編著 : 造事務所
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 864円 (税込み)

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