ジャパニーズウイスキー 複雑な樽熟成支える職人の技
世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(18)
3250万円。2018年1月27日に開催されたサザビーズ香港オークションで落札された「山崎50年」の価格である。もちろん1本の値段だ。ジャパニーズウイスキーとしては史上最高額であった。「山崎50年」が発売されたのは2011年。数量150本限定で、希望小売価格は100万円であった。日本産ウイスキーに世界はこれだけの価値を認めたのだ。
スコットランドのウイスキー評論家ジム・マレーの世界ウイスキー年間品質ランキング「ジム・マレー ウイスキー・バイブル2015」で「山崎シェリーカスク2013」が世界最高評価を受けてから、日本ウイスキーの人気はさらに沸騰してきた。それが如実に感じられるのがオークション毎に高騰する落札価格だ。だが一方で、ジャパニーズウイスキーが高根の花になっていく寂しさもある。
ちなみに翌年の「ジム・マレー ウイスキー・バイブル2016」で最高評価に輝いたのは、カナディアンウイスキーであった。前回、日本の醸造技術がカナディアンウイスキーに採り入れられ定着したことを紹介した。日本の麹(こうじ)を用いて麦汁をつくる技術である。そのカナディアンウイスキーが、山崎に続いて最高評価を得たこと、これもまた日本人の私にとってうれしいニュースであった。現在のジャパニーズウイスキーでは麹による糖化は行っていない。このようにチャレンジできる技術のフロンティアがあることを考えると、今後のジャパニーズウイスキーはまだまだ多様化していく可能性を感じる。
この世に存在する「モノ」の中で、日本製がトップクラスのものは少なくない。ウイスキーもその一つだ。しかし、ウイスキーはほかの「モノ」とは異なる大きな難しさを抱えている。その象徴が「樽(たる)熟成」である。
「intangible(インタンジブル)」という英単語がある。「触れることのできない」「無形の」という意味だ。ウイスキーは完成の時が約束されていない。熟成はあくまで樽と環境の協働の結果として得られるものであって、樽に詰めた時点ではいつ仕上がるかは決まっていない。これまでの経験から熟成のおおよその経過は推定できるが、都度確認が必要となる。
熟成とは、ただ単に樽材の成分がウイスキーに溶け出た状態を表すだけの言葉ではない。熟成とは、ウイスキーというアルコール水溶液に含まれる様々な成分間の相互作用が同時に進み、それら全ての反応がバランスしていく状態を指す。
水、そしてエタノールをはじめとする酵母がつくり出す成分、乳酸菌が生み出す成分、それらと蒸溜中に反応してできた成分も熟成にかかわっている。樽材を粉砕して抽出した材成分濃縮液ではいくら工夫を凝らしてもおいしいウイスキーはできない。
ウイスキーは様々な反応の総体として存在する。私が強くウイスキーを薦めてしまうのも、この複雑さ、多様さ、不可知性の面白さを感じていただきたいからだ。
製造工程の複雑さは樽貯蔵だけではないところがウイスキーメーカーにとっての辛さであり、喜びである。例えば、貯蔵の前工程の蒸溜も一筋縄ではいかない。その前の発酵工程にも麦汁製造工程にも関門がいくつも待ち受けている。蒸溜所の製造工程は、まさに「前門の虎 後門の狼(おおかみ)」で農産物である高品質大麦だけでなく、極めて品質の良いナラの原木を準備できなければ勝負に勝てない。林産物であるナラで最高水準の原木を得ることは容易ではない。
樽材用原木の品質規格はどうなっているか。胸の高さでの直径が約40センチメートル以上、節やねじれや腐れがないことなど、いわば完璧なナラの原木を要求している。
一旦樽に加工されたナラは、樽として、その後は様々なリサイクル木工品として生き永らえる。作り手はナラを、そして樽を全身全霊を込めて大切に扱う。原木が生育するのにかかった年月の経過を想起しながら。
大麦、ナラ、そして仕込水。地球環境に助けてもらわなければ、絶対手に入らないものでウイスキーは成り立っている。
ウイスキーづくりの難しさまだまだある。人間が容易にコントロールできる項目が極端に少ないのだ。例えば蒸溜。ほとんどのモルトウイスキーは銅製ポットスティル(蒸溜釜)で初溜と再溜の2回の蒸溜をおこなう。蒸溜釜の構造だけでも品質にかかわる要素はたくさんある。釜の大きさ、加熱方法にはじまり、胴部、カブト部の形状、スワンネックから先の上がり、下がり、蒸気を液体にするコンデンサーのタイプなど、形状の特徴がある一方、見てもすぐには分からない特性が実にたくさんある。それなのにオペレーターがコントロールできるのは、釜に張り込む液の量、加熱する強さ、コンデンサーに流す冷却用の水の量、そして、樽に詰める本溜液を取りよけるタイミングぐらい。
そんな金縛りにあったような状態の中でも、おいしいものはつくられるのである。日本が西洋から学んだ様々な「モノ」の中で、ウイスキーは最もややこしいものの1つ、いや、最もややこしいものだと正直思う。
書き忘れていた超難題がもう1つあった。原酒在庫である。
あるウイスキー製品の売り上げが好調で年3%伸びたとしよう。その製品に使われる原酒の平均酒齢が8年とする。来年は今年の1.03倍売れるということである。すると、必要な原酒は、当年いきなり26.7%増えてしまうのだ。1.03の8乗=1.267だからである。
逆に売り上げが落ちると、落ちはじめの年にいきなり余剰在庫が出てしまう。この数年、日本産ウイスキー製品の出荷量が徐々にしか回復しない理由がこの原酒在庫という難物にある。
読者は不思議に思うだろう、それほどコントロールが利かない工程でできた原酒からよくまあ品質のバラツキがない製品ができるものだと。
答えはブレンダーである。
読者の中で、ずっと飲み続けてきたマイブランドをお持ちの方も多いかと思う。ここ4、5年の味わいはどうだろうか、変わったなと思われたことがあっただろうか。
ブレンダーが味わいを変える時はもちろんある。新たな味わいの提案をする時だ。飲むという行為を通して飲み手は日々学習している。そして、飽きてくる。全く変えないとすると、進化した飲み手はそのウイスキーをどこか物足りなく思うようになる場合が多い。ブレンダーは先まで考えている。
ブレンダーはいわゆる鼻の良さは必須で、そうした五感に加えて記憶とイマジネーションと自己節制の3要素が求められる。ウイスキーへの愛情も強い。
仕事は過酷だ。頼りになるのは自分の感覚だけと言ってよい。たくさんのサンプルを官能検査し、記憶とメモのデータベースを構築する。粘り強くこの作業を繰り返する中で、ある原酒とある原酒の混和で思いもよらない素晴らしい香味が発現することがある。ブレンダーの仕事をやっていてよかったと思う瞬間である。そして、この発現確率が経験と共に上がってくる。飲み手への贈り物も増えていく。
以上、ウイスキーづくりについてこれまで触れていなかった内情を紹介した。その骨の折れるウイスキーの製法を、1人の青年がスコットランドに学びに行った年から今年でちょうど100年たつ。なぜ日本は、面倒な酒、ウイスキーに手を出してしまったのか、中でも最も手間暇がかかるスコッチウイスキーをモデルにしたのか。次回は、この日本ウイスキー誕生について100年後の現在から振り返ってみたい。
ジャパニーズウイスキーと言えば、かつてのサントリー、ニッカ、オーシャン、キリンシーグラムといった社名をまず思い浮かべる読者も多いことだろう。そして、各社の様々な製品とCMも。
私の場合、「サントリーウイスキーホワイト」のサミー・デービス・ジュニア、「サントリーウイスキーレッド」の宇津井健、大原麗子、「サントリーウイスキーオールド」の開高健、倉本聰、田中裕子、長塚京三、國村隼などが思い出される。キリンシーグラムの「ロバートブラウン」のハーブ・アルバートも印象深い。不思議なのは、それらのCMを思い出す時、CMが流れていた時の自分をドキュメンタリーを見ているように再度体験してしまうことだ。
今回お薦めしたいウイスキーは、「サントリーウイスキーオールド」である。かつて飲み場を席巻した「オールドの水割り」。今回は当時行われていた「13回転半の水割り」を飲んでいただきたい。作り方は以下の通り。
8オンスタンブラーに氷を入れて、グラスがよく冷えるまでかき混ぜる
残った氷と解けた水を捨てる
グラスに新たに氷を入れる
底から指2本分の高さのところまでサントリーオールドを注ぐ
13回転半かき混ぜ、ウイスキーを冷やす
減った分の氷を補う
冷やしたミネラルウオーターを注ぐ
最後に数回かき混ぜ、出来上がり
できたての水割りを味わっていただきながら、そのインパクトを記憶しておいていただきたい。そして、飲み終わった時に最初の一口の味わいを思い出し、比較していただきたい。水っぽくなったり、味が変ったりはしていないと思う。しゃきっとしたキレととろみと心地良い甘さ、湧いてくる様々な香りと味わいは最後まで持続していたことをお気付きになると思う。「13回転半の水割り」のつくり方はつくり手から飲み手への贈り物である。
オールドは1980年に売り上げのピークを迎え、当時は世界最大のウイスキーブランドであった。
その後数量は減ったものの、昔よく飲んだオールドは、実はブランドとして今も健在だし、進化も遂げている。現在のオールドの消費税別希望小売価格は1880円(700ml、43%)である。多分その味わいに驚かれるのではないかと思う。
そして、次はオールドのCMの話。耳の底から聞こえてくるあのメロディー、小林亜星作曲の「夜が来る」である。1970年代の顔シリーズ、旅シリーズ。1980年代の中国シリーズ。「北京の空気は柔らかだった」、そして桂林。シルクロードでロケした夢街道というのもあった。1990年代の「恋は、遠い日の花火ではない」。その後の家族の絆シリーズは父親と娘の話・・・。
今晩、サントリーオールドはどれだけCMの記憶をよみがえらせてくれるだろうか。そして過ぎ去った時代の自分に巡り合わせてくれるだろうか。
(サントリースピリッツ社専任シニアスペシャリスト=ウイスキー 三鍋昌春)
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