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弥生時代の「口噛む」が事始め 進化続ける日本酒醸造 30の発明から読む日本史 (2)日本酒=弥生時代

2018/5/26

◎母里太兵衛の像 福岡県福岡市にある。右手に日本号、左手に盃を持っている。

「酒は飲め飲め 飲むならば~」ではじまる福岡県の民謡・黒田節。もちろんこれに戦国の逸話が関係しています。

黒田長政に仕えていた母里太兵衛は、ある日、福島正則の下へ使者として遣わされました。正則はその日、朝から酒宴を行っており、太兵衛に執拗に酒をすすめました。太兵衛は自他ともに認める酒豪ながらも、使者であるからと禁酒を誓い、固辞し続けました。

何度かの押し問答があった末、正則は「この大盃に注いだ酒を見事飲み干したら、好きな褒美をやろう」といい、さらに「黒田家の者は酒も飲めないのか」と、太兵衛を挑発します。

主家を侮辱された太兵衛は、大盃に注がれていた酒を続けざまに2杯を飲み干し、「日本号」を所望しました。日本号とは、足利義昭、織田信長、豊臣秀吉らの手を経て、正則が所有していた名物の槍(やり)です。

正則はしぶしぶ褒美として日本号を差し出し、太兵衛はそれを手に平然と帰路につきました。

ヨーロッパより進んでいた酒焚の技術

さて、酒造りの話に戻りましょう。

江戸時代の初めまでは、新酒、間酒、寒前酒、寒酒、春酒と1年間に5回も仕込んでいました。やがて寒い冬に仕込む「寒造り」の酒の質が高いことがわかってきました。酒の質の良しあしだけではなく、寒い時期は空気中の雑菌の繁殖を防ぎやすいことや農閑期の農民を蔵人として確保できることなども都合がよく、酒造の主流になっていきました。

また、江戸時代には「酒焚(さけだき)」という火入れ殺菌が行われていました。「酒焚」の原理は、フランスの学者・パスツールがワインの腐造防止策として1865年に発表した「低温殺菌法」と同じです。100度未満の低温の状態を保つことで、ビタミン・糖類・たんぱく質などを、変質・破壊することなく殺菌できるのです。

日本人は、パスツールが発表する200年も前から「酒焚」に効果があることに気づき、実践していました。

酒造りの本場は関西でしたが、大消費地は江戸でした。そこで登場したのが樽廻船(たるかいせん)です。積み荷が灘(なだ)や伊丹といった摂津(現在の大阪府や兵庫県の一部)から江戸へと運ばれる酒樽(さかだる)だったため、「樽廻船」と呼ばれました。

それまでの酒樽輸送の主力だった菱垣廻船は、酒樽だけではなくほかの荷物も積んだため迅速性に欠けており、また輸送の途中で酒樽が破損するといった事故が相次いだことから、専用の樽廻船の登場となりました。

江戸時代後期には、その年の新酒を江戸まで早く運ぶことを競う「番船競争」も行われ、活況を呈しました。

化学に基づく酒造り

明治維新で富国強兵策がとられることになり、政府は税金の徴収を強化しました。酒はその対象となり、個人での酒造りは禁止されてしまいます。

それまで酒は木樽や壺(つぼ)に入れて量り売りされていましたが、明治19(1886)年にびん詰が開始され、明治42(1909)年には1升びんが開発されました。明治37(1904)年に国立の醸造試験所が開設されると、化学に基づいた酒造りがはじまります。

昭和初期には、温度管理や微生物の管理が容易となるホーロータンクが登場するなど技術革新が相次ぎました。しかし、戦争がはじまった昭和14(1939)年に米の統制によって酒造りのための精米が制限されると、酒の生産量もそれまでの半分に制限されることになりました。

終戦後、日本の酒造りは苦難の道をたどりました。昭和10(1935)年に約407万石だった日本酒の生産量は、昭和20(1945)年に約84万石にまで減ってしまいます。

昭和5(1930)年には8000以上あった酒蔵も約3800に減ってしまいました。兵士の復員で飲酒人口が増えても供給量が追いつかず、闇市ではメチルやカストリ、バクダンなどと呼ばれた密造酒が大量に出回りました。

闇酒の横行は国民の健康を損ねるだけではなく、税収も落ち込むことから、米を原料としない酒の製法が研究されました。その結果、三増酒と呼ばれる日本酒の3倍あるいはそれ以上のアルコールを加えた酒が開発されました。

昭和50年代前半からは地酒ブームがはじまり、地方の酒蔵が純米酒や本醸造酒を売りはじめました。

世界で愛されるSAKE

日本酒は、いまや日本人だけの飲み物ではないと言っていいかもしれません。国内出荷量は減少していますが、輸出量は増えています。

平成28(2016)年の輸出数量は1万9737キロリットルと10年で倍増しました。日本酒の輸出国は60カ国以上もあり、そのうちアメリカ、香港、韓国、中国、台湾の5つの国と地域が数量、金額で約7割を占めています。

同じ酒でありながら、度数や味の違いはもちろん、食前用・食後用などの飲み方ができるバラエティーの豊富さも外国人の心をつかんでいます。ニューヨークでは日本酒を提供するSAKEバーが増えていたり、日本酒をメニューに取り入れている海外の高級レストランも少なくないようです。

誰もが気軽に海外旅行に出かける時代、見知らぬ国の見知らぬ町で、飲み慣れた日本酒に出会うこともめずらしくないかもしれません。

【日本酒のこぼれ話】
9升1合飲んだ人が江戸時代にいた!
江戸時代がじつに平和な時代だったということがよくわかるイベントがあります。文化12(1815)年に千住で行われた「千住酒合戦」です。
これは、誰でも参加できた酒の飲み比べ大会で、立会人として当時の著名な文化人が何人も参加したということもあり、江戸市中で大評判となった一大イベントでした。
結果として、男性では千住宿の松勘が9升1合、女性では千住宿のおすみが2升5合を飲み干したという記録が残っています。
9升1合ということは、約16.4リットル。これだけの酒を飲める人は現在もそうはいません。また、立会人も酒を飲みながら審査していたようです。
池内 了 監修『30の発明からよむ日本史』(日本経済新聞出版社、2018年)から

30の発明からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

監修 : 池内 了 編著 : 造事務所
出版 : 日本経済新聞出版社
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