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弥生時代の「口噛む」が事始め 進化続ける日本酒醸造 30の発明から読む日本史 (2)日本酒=弥生時代

2018/5/26

発酵には、糖分が必要とされます。ブドウのような果実やハチミツのように最初から糖分を含んでいるものは、条件さえ整えば自然に発酵します。ですが、糖分を含まない原料を発酵させて酒を造るには、知恵と技が不可欠でした。

世界に例を見ない「並行複発酵」

日本酒のおもな原料は米ですが、米には糖分が含まれていません。米から酒を造る秘密は「並行複発酵」です。糖化と発酵のバランスをとりながら並行して発酵を進める、世界にも例を見ない醸造方法に隠されています。

並行複発酵は、科学的な分析技術をもたなかった先人の知恵と経験、そしてたぐいまれな技によって確立されたものです。ちなみに、中国の醸造酒の代表といえば紹興酒です。主原料である精白したもち米を20日間近くも水に浸し、その際にできた酸性の水を仕込み水にするという変わった製法で造られています。

米を原料として酒を造るには、まずデンプンを糖化する必要があります。古代には消化酵素であるジアスターゼを含む唾液を加えることによってデンプンを糖化させ、アルコール発酵させていたわけです。

その後、日本各地で酒造りが普及し、『古事記』や『日本書紀』『万葉集』にも見られるようになります。

◎ヤマタノオロチの退治 酒を飲んで酔っているヤマタノオロチの首を切り落としている。

島根県の出雲地方には『古事記』や『日本書紀』に登場する「八塩折(やしおり)之酒」の逸話が伝えられています。スサノオノミコトが、村人を苦しめていたヤマタノオロチに飲ませ、酔わせて退治したのが八塩折之酒です。

酒造りは国家事業

奈良時代のはじめ、百済から渡来した須須許里(すすこり)が麹(こうじ)を使った酒造りを伝えたと『古事記』に記されています。そこから、この手法による酒造りが普及しました。造酒司という役所が設けられ、国家による醸造体制が整備されていきます。

麹を使った醸造法は、現在も続いています。麹はカビ(菌)の一種で、正確には黄麹菌といいます。麹は米に含まれるデンプンを糖化します。

じつは醸造によって造られる酒の中では、日本酒はもっともアルコール度数が高いといわれています。他の国々の強い酒は、醸造された酒を加熱して気体化したアルコールを液体に戻した蒸留酒です。醸造された時点で20度を超えるような酒は、日本酒しかありません。

◎米麹 白米に黄麹菌を繁殖させたもの。黄麹菌は酒以外に醤油や酢、みりんなどの調味料にも使われる。

なお、日本酒のアルコール度数は15から16度程度が多いようです。そのわけは、日本酒は、基本的に酵母を使ったアルコール発酵のみで造られるのですが、糖分を食べることによってアルコール発酵を行う酵母は、アルコール度数が20度を超えると死滅し、新たなアルコール発酵ができなくなるからです。

平安時代中期に編纂された『延喜式』には米と麹、そして水で酒を仕込む方法やお燗(かん)について記載されています。この時代のハレの日の食事には酒は不可欠でしたが、酒がひんぱんに庶民の口に入ることはありませんでした。

平安時代には、「僧坊酒」が造られました。これは高野山などの寺院で醸造された酒で、非常に高い評価を受けていました。

平安末期から鎌倉時代、さらに室町時代にかけて、酒は米と同等の経済的価値をもつ商品となり、広く流通しました。京都を中心として「柳酒屋」「梅酒屋」などの造り酒屋が誕生したという記録が残っています。

南北朝時代から室町時代初期にかけて書かれた『御酒之日記』にも、今でいう麹と蒸米と水を2回に分けて加える段仕込みの方法や乳酸発酵の応用、木炭の使用などが細かく記されています。このころに、現在の清酒造りの原型がほぼ整ったといえるでしょう。

地域ごとに使われる米や水が異なると、味が変わります。これも日本酒のユニークな特徴といえるでしょう。また、大きな桶(おけ)を作ることが可能になり、酒の生産量は飛躍的に増えました。そのほか蒸留技術が伝来したことによって、日本の蒸留酒(焼酎)造りの原型もできていきます。

戦国武将と酒の逸話

いつ命を落とすかわからない緊迫状態にあった戦国武将は、酒に関する逸話に事欠きません。たとえば、織田信長。天正2(1574)年の元日、信長は徳川家康や重臣たちを岐阜城に招いて盛大な宴会を催しました。

宴も佳境に入ったころ、「皆に見せたいものがある」といって運ばせたのは、前年滅ぼした宿敵の浅井久政・長政父子と朝倉義景の3人の頭蓋骨に漆を塗って金粉をまぶした、髑髏(どくろ)の盃(さかずき)でした。

「越後の虎」と呼ばれた上杉謙信は、かなりの酒好きで知られています。味噌や梅干し程度の肴(さかな)しか食べず、「馬上盃」といわれる直径12センチ前後の大盃で酒を飲んでいました。馬上でも飲み、絵師に自分の後ろ姿だとして盃を描かせたという逸話も残されています。

そんな謙信の死因は、酒であるとの説が有力です。春日山城内の厠(かわや)で倒れた原因は、日ごろの大酒からくる高血圧だったと推測されています。

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