俳優・舘ひろしさん 父から学んだ「紳士」の姿
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の舘ひろしさんだ。
――お父さんは医師だったそうですね。
「名古屋で開業医をしていました。どちらかというとぼんぼん育ちで、親子の関係もそれほどべったりしていなくて。自分が悪いと思ったら『昨日は理不尽なことで怒って申し訳ない』と子供にでも謝る人でした」。口癖は『男子たるもの紳士たれ』で、おやじもそうありたいと思ったんじゃないですかね。紳士の定義は自己犠牲じゃないかと思うんですよ。僕もそうありたいと思っています」
――医院を継ぐ気はなかったですか。
「そのつもりだったんですが頭が悪くて。弟が継ぎました。浪人中に将来どうするんだっていう話をするのに、東京・青山の絵画館の前で会おうって言ったんです。普通どこかの駅前とか言うんでしょうが、ロマンティストだったんですね。絵画館に行くとおやじを思い出します。大学は建築学科に進みました。おやじも大学だけは行けという感じで、ああしろこうしろと言わないんですが、本を読めとは言われました」
「おやじは2014年8月に亡くなりました。足が悪いのでつえをついて散歩しろって僕はよく言ったんですけど、つえで歩く自分の姿があまり好きじゃなかった。プライドというか。結局歩かなくなって弱ってしまいました」
――お母さんは。
「お袋は厳しい人でした。僕が小学1年生の時、お袋の実家がある三重県四日市市に行くのに、名古屋駅から出ているバスに独りで乗せられて。1時間半の一人旅はすごく不安だったのを覚えています。かわいい子には旅をさせよと思ったのか、勉強にしてもすごく口うるさかったですね。医師にしたかったんじゃないでしょうか」
――芸能界に入ることは。
「俳優になることが成功だとはあまり思っていなかったようで。僕は石原プロモーションに入って30代半ばまで『西部警察』に出演したんですが、お袋はずっと大学の授業料を払っていました。いつでも戻れるようにって。だから大学には休学を含めて10年間ほど在籍していました。僕が俳優としてやっていけるから大学を辞めても大丈夫だと石原プロに言われて、お袋は退学届を出したのでしょう」
「お袋は91歳で健在です。名古屋の広い家に独りでいるんで心配です。たまに電話したり、名古屋に帰る機会に顔を出したりしています」
――映画やTVドラマでは父親役も増えているのでは。
「僕には子供がないので、おやじからイメージすることも多いです。優しさとか紳士たれというところとか。でも、意地悪さとか、よれた部分とかは自分でイメージするしかないです。芝居の勉強をしたことはないんで、いろんなことを感じ取るようにしています」
[日本経済新聞夕刊2018年5月8日付]
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