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できないことは考えない パラスポーツがともす希望 マセソン美季さんのパラフレーズ

2018/5/12 日本経済新聞 朝刊

マセソン美季さん

 カナダ中西部に位置するサスカチワン州ハンボルト。ここを拠点とするアイスホッケーのジュニアチーム、ハンボルト・ブロンコスのバスが先月6日、試合に向かう途中で大型トレーラーに衝突された。16~21歳の選手24人と関係者のうち、16人が死亡するという大事故は、カナダ全土を深い悲しみに包んだ。

 生存者の1人、ライアン・ストラスチニスキー選手は、脊髄損傷の重傷を負った。7時間にわたる手術の後、「もう自分の足では歩けないだろう」と宣告された際、父親にこう言った。「父さん、スレッジホッケー(パラアイスホッケー)があるじゃないか。今度はそっちで金メダルを取るよ」

 彼のコメントを聞き、「俺も事故にあった後、同じような気持ちだったのを思い出した」と言うのは、平昌パラリンピックの同競技でカナダに銀メダルをもたらしたタイルーン・ヘンリー選手。彼も交通事故で下半身不随になった時、テレビで2010年バンクーバー大会の試合を観戦したことが記憶によみがえったそうだ。歩けなくなっても大好きなホッケーを続けられる、だから大丈夫。そう思ってリハビリに精を出したという。

 時代は変わったな、と思う。私も交通事故で脊髄損傷を負った。しかし当時の私にとって、車いすでの生活とはスポーツができなくなると同義。自己喪失の瞬間だった記憶がある。

 南アフリカで人種隔離政策の撤廃に生涯をささげ、ノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ元大統領の言葉を思い出す。「スポーツは、それまで絶望しかなかったところにさえ、希望の火をともす」。幸い、私も比較的早い時期に車いすでもスポーツができると教えてもらった。あの時に見た希望の光とうれしさと、安堵感に似た気持ちは今でも鮮明に覚えている。

 できないことではなく、できることに目を向けることの大切さ。考え方や物の見方を変えられれば、人生はもっと豊かになる。パラリンピック開催の意義は、誰もが生活しやすい環境や仕組みを整備することもさることながら、そんなメッセージを社会に浸透させることでもある。

マセソン美季
 1973年生まれ。大学1年時に交通事故で車いす生活に。98年長野パラリンピックのアイススレッジ・スピードレースで金メダル3個、銀メダル1個を獲得。カナダのアイススレッジホッケー選手と結婚し、カナダ在住。2016年から日本財団パラリンピックサポートセンター勤務。

[日本経済新聞朝刊2018年5月10日付]

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