アルゲリッチが別府に来る理由 ピアニスト伊藤京子
世界最高のピアニストといわれるマルタ・アルゲリッチさんが総監督を務める「別府アルゲリッチ音楽祭」。大分県別府市を中心に1998年から始まり、第20回記念の今年は5月6日~6月8日に開かれる。音楽祭を支え続けるのは総合プロデューサーでピアニストの伊藤京子さん。アルゲリッチさんとの出会いから音楽祭立ち上げを経て現在まで、展望と課題を語る。
音楽祭の英語での正式名称には「アルゲリッチズ・ミーティングポイント(アルゲリッチの出会いの場)」とある。音楽を通して出会いの場を広げることを理念の一つに掲げている。伊藤さんがアルゲリッチさんと出会い、友情を育んだことがすべての発端。その後、2人は別府市という「場」と出合い、音楽祭が始まった。今年は「第20回記念」と銘打ち、チェリストのミッシャ・マイスキー氏、指揮者のチョン・ミョンフン氏をはじめ世界屈指の音楽家が参加する。当初出演が予定されていた指揮者の小澤征爾氏は病気治療のため降板となった。大分県のほか東京や水戸市(関連コンサート)でも公演する。大分県東京事務所(東京・銀座)で伊藤さんに話を聞いた。
■音楽祭は人々が出会うミーティングポイント
――アルゲリッチさんとどう出会ったか。
「ショパン国際ピアノコンクールでアルゲリッチが優勝した1965年、彼女の演奏をラジオで聴いたのが始まりだった。東京芸術大学音楽学部付属音楽高校では同級生から『京子ちゃんというとアルゲリッチだよね』と言われるくらい、私にとって大好きな演奏家になった。その後、77年、ドイツに留学していた私は、アルゲリッチと同郷のアルゼンチン出身の彼女の友人に出会った。その人が書いてくれた紹介状を携えて彼女の演奏会に行ったのが始まりだ。一緒に食事をし、私のピアノ演奏も聴いてもらうという夢のような3日間を過ごした。当時はまさか彼女と一緒に音楽祭やコンサートに取り組むことになるとは夢にも思わなかった」
――音楽祭を立ち上げた経緯は。
「95年に別府国際コンベンションセンター(ビーコンプラザ)が竣工する際、当時の別府市長が私たちに『ここから世界発信をしたい』と依頼したのがきっかけだ。国際音楽祭を要望されたが、私たちにはそうした事業の経験がなかったので、右も左も分からない状態から始まった。アルゲリッチは地名やアーティスト名を冠しただけの音楽祭の名称を嫌がり、もっと自分たちの手作り感が出るような意味のある名称を望んだ。そこで『ミーティングポイント』と名付けることにした。彼女は旅の多い人。空港にもミーティングポイントがある。出会いの場所には夢がある。私とアルゲリッチの出会いも特別のものだったので、2人にとってもシンボリックな名称になった」
――アルゲリッチさんはどんな人柄か。
「彼女が本質的に持っているのは優しさ、人に対する思いやりだ。私が出会った頃のアルゲリッチと今の彼女を比べてみると、その本質は変わらないが、とても柔らかくなったと思う」
■同じ曲でもいつも新しい発見があるライブ
「出会った当時のアルゲリッチはまだ30代だったから、どちらかというと神経質な印象を持った。優しいが、演奏会の前になるととても敏感に、神経質になった。それは今も変わらないが、年齢を重ねるたびにおおらかさが前面に出るようになってきた」
――彼女の音楽の魅力は何か。
「本当に唯一無二の演奏ができる人だ。もう一音聴いただけでこれはアルゲリッチの演奏だって分かる。音楽の作り方は独特。最も魅力があるのはライブの演奏だ。同じ曲を何回弾いても、いつも新しい発見がある。彼女の演奏はいつも深化し、進化していく。これは驚異的なことだ。大抵は肉体的な衰えがあるはずだが、彼女にはそんな衰えは全くなく、むしろもっと磨かれ、自由自在になってきている。音楽祭で彼女の演奏を聴くたびにいつも感銘を受ける」
――アルゲリッチさんとのピアノ連弾など共演する機会も多いが、演奏家としてどんな印象を持つか。
「一緒に弾いてくれることになったとき、人生で最大の緊張を経験した。彼女に最初に自分の演奏を聴いてもらったときもそうだったが、あの唯一無二といわれる最高峰の名手の前でピアノを弾くには相当の勇気が要る。一緒に弾いて彼女の邪魔になってはいけないと思った。でも本当に優しいので、一緒に練習するときにとてもほめてくれる。音楽を研究し工夫することが大好きな人なので、私が弾けないと言うと、懸命に弾き方を考えてくれる。大海原の中でどう泳いでもいいですよ、と言ってくれているような演奏家だ」
「最初に子供たちを招待しようということになって、CDを作った。その時にプロコフィエフの古典交響曲(交響曲第1番ニ長調作品25)を作曲家でピアニストの寺嶋陸也さんに2台のピアノ版に編曲してもらった。この交響曲では希少なピアノ2台による編曲で、世界初演だった。それがとても人気が出て、各国で弾きたいという需要が生まれ、楽譜の出版にまでなった。アルゲリッチもこの2台のピアノ版をとても気に入って、いろんなところで弾いている。これは私の中ではアルゲリッチとの共演でとても誇りに思っていることだ」
――20年間で20回となる音楽祭、準備段階も含めれば24年間の取り組みで自身が変わったことは何か。
「音楽祭に取り組む以前の私は音楽だけの環境にいた。みんながアルゲリッチを知っていて、誰もがベートーベンの音楽は素晴らしいと思っている環境の中で私は育った。しかし一般社会ではアルゲリッチの存在もベートーベンの素晴らしさも知らない人々がほとんどという事実にカルチャーショックを受けた。それが普通のことであり、逆に私がいかに非常識の世界に生きていたかを思い知った」
■大人と子供の心を育む感性教育に重点を置く
「行政の理解を得るのに苦労した。協賛を求め、慣れない企業訪問もした。アルゲリッチがとても温かい気持ちで応えてくれたから続けることができた。自分だけのことだったら途中で投げ出していたかもしれない」
――音楽祭で特に重視しているのは何か。
「世界発信、育む、アジア、という3つを当初から重視してきた。その中で『育む』により一層の重点を置くようになっている。人にとって教育がどれだけ大事か。即物的な面の強い現代社会では知性だけでなく、人を思いやる気持ちなど、感性教育が重要だ。だから大人と子供が一緒に音楽を通じて心を育む『ピノキオコンサート』にも力を注いでいる。さらにアルゲリッチにとっては平和が大きなテーマだ。音楽祭とは別の公演だったが、戦後70年の2015年に彼女は広島交響楽団と共演し、原爆投下の地で平和への思いを新たにした。彼女はもともと日本へのシンパシーが強かった。日本はとても大きな贈り物をもらった」
第20回記念として5月16日の東京公演(東京オペラシティコンサートホール)では、第1回音楽祭のプログラムを再現する。チョン・ミョンフン氏の指揮、桐朋学園オーケストラの管弦楽でアルゲリッチさんがプロコフィエフの「ピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26」を弾く。「彼女はプロよりも学生や生徒らと共演するときに一段と燃える」と伊藤さんは言う。何が起こるか分からないライブ感を愛しているからだ。
アルゲリッチ音楽祭は、専門家ではなく、広く一般の人々に音楽を聴いてもらい、心を育んでもらおうとしている。地方の観光都市で開かれる権威ある音楽祭は、音楽評論家や音楽ジャーナリストを名乗る「専門家」の集合場所になりがちだ。旅費や宿泊費もかさむため、時間や経済面で余裕のない一般の人々には容易に近寄れない場所にもなりかねない。アルゲリッチさんの演奏を聴くことが「特権」になるような事態は避けなければならない。アウトリーチ(地域奉仕や現場出張の活動)の形態も交え、日本各地でアルゲリッチさんと出会える機会を設けていくことも課題になる。
(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)
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