文楽人形遣い・桐竹勘十郎さん 父の名、重圧と力に
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は文楽人形遣いの桐竹勘十郎さんだ。
――15年前に「勘十郎」を襲名した。継いだのは師匠ではなく、父親(人間国宝)の名跡。文楽では異例だった。
「ある日、(吉田)簔助師匠に突然呼ばれました。『おまえ勘十郎を継げ』。ええーっという感じです。中学3年の14歳の時から芸を仕込んでくれた師匠の言葉は絶対です。これには参りました。父が亡くなり17年たっていましたが、私より先輩の、父の弟子もいらっしゃいました。本来なら『勘十郎』は師匠から弟子へと受け継がれていくべきです。直接の弟子でもない私が名を継ぐなど異例でした」
「悩みましたね。何人かの人に相談すると、みんな『ええやないか』と賛成してくれる。でもなかなか踏ん切りがつかなかった。同じ人形遣いでも芸風が違うからです」
――というと。
「簔助師匠は女方(おんながた)の第一人者です。私は簔太郎の名をもらい師匠の下で修業を積んできました。ところが『勘十郎』は立役(男役)が看板の名前です。父も豪快な芸風が持ち味でした。周りは私のことを女方でやっていくと思っている。本当にできるのか不安でたまりませんでした」
「最後に背中を押してくれたのは母の言葉です。私が子供のころ、父の貧乏暮らしに苦労した母は『この子は人形遣いにだけはさせん』と思ってたようです。ところが当の私は学校が嫌いという理由だけで人形遣いになった。その私に、最後は『継げばええ』と言ってくれました。生前父から、『どんな人形でも遣えるようになれ』とよくしかられたことも思い出しました」
――今は立役でも文楽を支えている。
「襲名公演では絵本太功記の『武智光秀』を遣いました。父が得意にしていた大きな役です。地方公演を含め襲名の年だけで70回以上公演しました。さすがにこれだけやれば、不安は薄れました」
「それにしても、名前というのは不思議なものです。襲名しても、何かと『先代は……』と比較されるからしんどい。名前は変わったけど、芸はな、と。その一方で、どこか背中を父が押してくれてるなと感じることもあります。名前の力でしょうか。ずっしりと重くのしかかる『勘十郎』に耐えながら、何とかやってこれました」
――息子さんも文楽に。
「高校を出るころ、人形遣いになりたいと言ってきました。『きびしい世界やで。ほんまにええんやな』と何度も念を押しました。最後は私の師匠でもある簔助師匠にお願いし、今は吉田簔太郎を名乗っています。親子で兄弟弟子という奇妙な関係です」
「来年3月に私も、父が逝った66歳になります。継いだ名に自分なりの何かを加えて、次の世代に伝えていきたい。まだ『勘十郎』の出来栄えは60点ぐらいです」
[日本経済新聞夕刊2018年5月1日付]
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