会社の健康診断 「パスした人」の思わぬ末路
こちら「メンタル産業医」相談室(22)
新緑を揺らす風も爽やかな5月、あなたの心と体はお元気でしょうか? こんにちは、精神科医・産業医の奥田弘美です。4月から期が改まり、会社から「今年も定期健康診断を受けましょう」というお知らせが届き始めた人も多いことでしょう。
「忙しいのに面倒くさいなあ。忘れたふりしておこう」
「昨年も大した異常はなかったし、今年はパスしようかなあ」
なんて、思っている方はいませんか? 産業医として声を大にして申し上げます。
「健康診断は、必ず受けなければいけません!」
実は、社員が健康診断を受けなければいけないことは、法律で義務として定められているということは、ご存じでしょうか?
「健康診断は受けたくない」はアリか?
労働安全衛生法では、常時雇用する労働者に対して事業者(会社)が年1回、定期的に労働者の一般健康診断を実施することを義務付けています(深夜業〔午後10時から午前5時の間における業務〕や坑内労働などの特定業務従事者は半年に1回)。それと同時に、同法律は、労働者側にも健康診断の受診義務を課しているのです。
第66条の1 労働者は、前各項の規定により事業者が行なう健康診断を受けなければならない。ただし、事業者の指定した医師又は歯科医師が行なう健康診断を受けることを希望しない場合において、他の医師又は歯科医師の行なうこれらの規定による健康診断に相当する健康診断を受け、その結果を証明する書面を事業者に提出したときは、この限りでない。
つまり、労働者は必ずしも事業者(会社)側が設定した医療機関で健康診断を受けなければならないわけではなく、自分のかかりつけ医などで健康診断を受けることも可能。しかしその場合も、結果を事業者に提出しなければならないのです。
ごくまれに「健康診断結果は、個人情報だから会社に提出したくない」とダダをこねる社員さんに出会いますが、法律で定められた法定項目と呼ばれるデータ(身長、体重、視力、聴力、血圧、尿検査、貧血、肝機能、血中脂質、血糖、胸部X線など)は、会社に提出しなければなりません(法定項目は年齢や健康診断の種類によって異なります)。
なぜならば、事業者側は、異常があった健康診断結果を医師に見せて意見を聴取し、労働者の健康を損ねないような働き方の配慮を行うことが同法律で定められているからです。
第66条の4 事業者は、(中略)健康診断の結果(当該健康診断の項目に異常の所見があると診断された労働者に係るものに限る。)に基づき、当該労働者の健康を保持するために必要な措置について、厚生労働省令で定めるところにより、医師又は歯科医師の意見を聴かなければならない。
第66条の5 事業者は、前条の規定による医師又は歯科医師の意見を勘案し、その必要があると認めるときは、当該労働者の実情を考慮して、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮、深夜業の回数の減少等の措置を講ずるほか、(中略)その他の適切な措置を講じなければならない。
まとめると「健康診断は受けたくない」「個人情報だからデータを会社に見せたくない」と、社員側は言えないということです。もちろん、事業者側は提出された健康診断結果については、慎重な取り扱いと個人情報管理の徹底を行わなければなりません。
ちなみに労働安全衛生法では、労働者の受診義務違反に対する罰則は設けていませんが、裁判例では、事業者は労働者に対して健康診断の受診を職務上の命令として命じることができ、受診拒否に対しては懲戒処分を行うことが認められています(平成13年最高裁「愛知県教育委員会事件」)。
1回受診し忘れた程度で処分を受けることはないかもしれませんが、もし何年にもわたって健康診断の受診を拒否し続けている場合は、業務命令違反として何らかの懲戒処分を科せられる可能性があります。
なぜ健康診断は「義務」なのか?
なぜこのような健康診断に関する取り決めが、法律で厳格に定められているかというと、その根本は「安全配慮義務」にあるといえます。
よく過労死や過重労働の裁判記事で、「会社の安全配慮義務違反が認められた」といった記載を目にすることがありますよね。すべての事業者は、雇用している労働者を「健康かつ安全に働かさなければならない」という義務を負っています。
使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。
この「安全配慮義務」が事業者に強く課せられているからこそ、会社は健康診断を実施して社員の健康状態に応じた業務内容を検討しなければならないのです。
産業医がいる会社では、産業医が健康診断結果をチェックし、異常値が出ている社員については、二次検査や治療が必要な旨を会社側に伝えます。また健康状態が著しく悪化している社員に対しては、その状態に応じて就業場所の変更、残業や出張の免除などの就労制限を併せて意見します。
産業医がいない小さな会社では、地域の産業保健センターなどで産業医にチェックしてもらい同様の意見をもらいます。会社側は、これらの医師の意見を勘案して、最終的な事後措置を決定し実施する……というのが、健康診断に関する安全配慮のしくみです。
健診を拒否したら、万一のときに不利に!?
さて健康診断を受けた後、異常値が出ていて産業医や会社側から二次検査や治療に行くように促されているにもかかわらず、受診や治療を拒否していたらどうなると思いますか?
例えばAさんが健康診断で、非常に血圧が高い状態が指摘され、産業医や健診医からもすぐに高血圧の治療が必要と言われたが、「医者が嫌いだから」と受診を拒否したり、「薬を飲みたくないから」と治療を断ったりしたとしましょう。
高血圧の程度にもよりますが、例えばAさんの血圧が頻繁に180/110mmHgを超えているような状態であれば、おそらく産業医からは「残業の禁止」もしくは「血圧が下がるまで休業が必要(要休業)」といった意見が事業者に出されることが多いでしょう。高血圧が非常に悪化した状態のまま働き続けると、脳出血やめまい、意識消失といった様々な体調不良が起こるリスクが非常に高くなるからです。当然、社用車を運転するような仕事や高所作業や危険物を取り扱う仕事をしている場合は、血圧が正常化するまで従事させるべきではないという意見が出される可能性も非常に高くなります。
高血圧を例に挙げましたが、糖尿病、不整脈などの心臓疾患、腎臓疾患、肝機能障害、貧血なども、未治療であったり治療が不十分だったりして高度に悪化している場合は、何らかの就業制限が産業医から意見されることがよくあります。
最終的には会社側の多くは産業医の意見を勘案して事後措置を決定しますが、安全配慮義務を順守している会社ほどおおむね産業医の意見に沿った内容になることがほとんどです。つまり治療を拒否し続けたり、通院を中断したりして健康状態が悪化してしまうと、ご自身の仕事の範囲が狭められたり残業が制限されたりして悪影響が出るばかりか、場合によっては「要休業」の業務命令も出される可能性があるということなのです。
健康診断で異常値が指摘された場合は、どうぞ軽症のうちに医療機関にかかって治療を受けてくださいね。
今回は健康診断や健康管理の重要性と必然性を産業医としてお伝えしました。健康診断を受けていなかったり、病気の治療をおざなりにしたりしていると、万が一、労働災害が発生した際に会社に賠償を求めようとしても不利になることがあります。
もし健診や適切な治療を受けていればその労働災害に被災しなかった可能性があったと認められると、「労働者の健康保持義務違反」として賠償が減額される可能性もあるのです。例えば過労死など会社の安全配慮義務違反を争う労働裁判において、不整脈や高血圧、心疾患などの治療を適切に受けていなかったとして、過失相殺として賠償金を大幅に減額された例が複数存在します。
あらゆる病気は、早期発見早期治療が基本です。「忙しくて二次検査や治療に行くのは面倒」「特に症状がないし元気だから、放っておいても大丈夫だろう」と安易に考えて放置していると、ご自身の健康を大きく害する原因になるばかりか、安定した就労ができなくなってしまいます。
法定項目の健康診断費用はすべて会社負担で行われますし、ある年齢以上の人には健康保険組合から人間ドックやオプション検査項目の補助が出るところもあります。個人で受けると、結構な費用になってしまいますので、会社の健康診断を利用しない手はありません。今年もぜひ健康診断や人間ドックを積極的に活用してくださいね。そして「要二次検査」「要治療」の項目があったら、早いうちに医療受診して健康ケアを行ってください。
精神科医(精神保健指定医)・産業医・労働衛生コンサルタント。1992年山口大学医学部卒。精神科医および都内20カ所の産業医として働く人を心と体の両面からサポートしている。著書は「1分間どこでもマインドフルネス」(日本能率協会マネジメントセンター)、「何をやっても痩せないのは脳の使い方をまちがえていたから」(扶桑社)など多数。日本マインドフルネス普及協会を立ち上げ日本人に合ったマインドフルネス瞑想の普及も行っている。
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