ネスレ日本専務執行役員CMO 石橋昌文氏ネスレ日本の最高マーケティング責任者(CMO)を務める石橋昌文氏は、チョコレート菓子「キットカット」や自社のあらゆるブランドへの入り口を一本化した消費者向けサイト「ネスレアミューズ」などのマーケティングを手がけ、成果をあげてきた。ただ、こうした成功は、必ずしもあらかじめ描いた設計図通りの結果ではなく、小さな失敗と改善の繰り返しだったという。
■完璧な戦略なんてない
――家庭やオフィス向けのコーヒーマシンが好調で、マーケティングの成功例といわれています。
「最初に完璧な戦略を作り、その通りできたわけではない、というのが実情です。失敗覚悟で色々やるトライ・アンド・エラーの末に成功に結びついた例がほとんどですね。まずやってみて、失敗して課題を見つける。そして時代や市場動向を見ながら、工夫や改善で解決して成長につなげるのです」
「例えば、家で使う『ネスカフェ ゴールドブレンド バリスタ』と『ドルチェグスト』は手軽に1杯ずつコーヒーを入れられるマシンです。発売前は『コーヒーはやかんでお湯を沸かして、お湯を注いで……と時間も手間もかかる。そういうものだ』と消費者も我々も思い込んでいました。ところが、マシンを試作してみたら、いれるときの香りがとても良く、カップにきれいに泡ができた。従来のネスカフェのイメージが変わって、おいしく感じたのです。売り出してみたら、1杯だけ入れたいと思う人が実は大勢いたということが分かりました。一人世帯、二人世帯が増えていたんですね」
「オフィスにマシンを置いてもらう『ネスカフェ アンバサダー』も同じです。机のすぐ横にマシンがあって、1杯ずつコーヒーを飲めたら便利です。でもオフィスには自動販売機があるし、スターバックスやセブンカフェでコーヒーを買って持ち帰る人が大半で、どうせ売れないよという雰囲気でした。これもトライ・アンド・エラーで育ったのです」
■安売り商品から「お守り」へ
――キットカットを受験生を応援する商品として売るマーケティングは、今や「伝説」のようでもあります。
「キットカットは2000年代から受験生応援キャンペーンを手がけていて、今では受験生の4人に1人が持っているようです。でも、90年代はスーパーの安売り商品でした。キャンペーンのきっかけは、九州で『きっと勝つと』という語呂合わせから受験のお守りとして売れていると聞いたことです。チョコ菓子としてでなく、受験生を応援するツールとして売るべきだと気づきました」
「口コミで広めようと、ネットのお守りランキングにも投稿し、『5位くらいに入れば御の字』と思っていたら2位に選ばれました。また、受験生の泊まるホテルに置いてもらったりしているうちに、『パッケージにメッセージを書き込んで応援してもらうとうれしい』という声があると分かりました。売りながら気づくことが多かったです」
■「価値をつくる」のがマーケティング
――マーケティングとの出合いは?
「入社して最初の7年は営業でした。『そのうちマーケティングも経験してみたいな』と思うくらいで、強く希望してたわけではありません。広告を作ったり、コミュニケーションの一部を担ったりするくらいのものだろうと高をくくっていました。1992年に日本のネスレマッキントッシュ(現コンフェクショナリー事業部)に異動する際、『おまえはマーケティング担当』と言われて大慌てで勉強しました」
「担当して初めて分かったのが、生産計画から店頭販売まで一連のバリューチェーンを見渡して、社内の各部門や取引会社と協業することがマーケティングだ、ということです。これは今でも考え方の基礎になっています。2005年に高岡(浩三・現社長兼最高経営責任者)に呼ばれ、二人三脚でマーケティング統括の仕事をするうちに、マーケティングとは『自分と顧客を取り巻く現実を直視し、問題を発見して、解決するために実行して付加価値を作る』ことだと位置づけるようになりました」
■社員のアイデア、年に4800件も
――具体的には?
「簡単に言えば、見えない問題を発見して、解決するために周りを巻き込みながら事業化する、そういう社員の力を引き出すことです。そこで全社員の能力を高めるため、2011年からイノベーションアワードを始めました。社員からアイデアを募集し、役員会で評価して受賞者を決め、年末に表彰します。金賞のご褒美は、100万円とスイス本社への研修です」
石橋氏は、ネスレ日本の総合サイト『ネスレアミューズ』も手掛けた「ただし、受賞者は実際にアイデアを事業化しなければいけません。どんなマーケティング戦略を立て、社の内外をどうやって巻き込んで仕事を進めるか。とてもいいトレーニングになります。初年度は79件の応募でしたが、2017年は4800件です。社員1人が2件くらい提案している計算です」
「16年はネスカフェスタンドが受賞しました。鉄道会社と協業して、駅のホームにカフェスタンドを設け、新聞や菓子なども販売するビジネスモデルです。現在、阪急電鉄、阪神電鉄、東京急行電鉄、小田急電鉄の4社の駅に出しています。これまで、オーブントースターで焼いて食べるキットカットや高級タイプのキットカット専門店『キットカット ショコラトリー』が受賞し、それぞれ事業化しています」
■SNS戦略は不可欠
――ネットなどのデジタルとはどう向き合っていますか。
「10年11月に、ネスレ日本の総合サイト『ネスレアミューズ』を自社メディアの形で始めました。これまで30以上あったブランド関連サイトの入り口を1つに集約し、消費者に直接販売する電子商取引(EC)サイトも設けました。音楽や映画といったエンターテインメントのコンテンツもあります。EC部門の売り上げは急成長しており、ネスレ日本全体の売り上げの15%程度を占めています」
「現在、会員は約550万人でメールアドレスは200万人分を把握しています。消費者データベースもブランドごとだったのを一本化しました。今の若い人にリーチするには、ネットや交流サイト(SNS)といったデジタルは欠かせません。キットカットなどのブランドは知名度があるので、マス広告よりネットやSNSの方がエンゲージメント(関係性)やロイヤルティー(忠誠心)の向上の効果が見込めます」
「サイト内の『ネスレシアター』では、ショートムービーを流しています。最初の1分間に商品広告を入れる条件で映画監督に自由に作ってもらいました。約4000万の視聴があり、ブランドのエンゲージメントを高めていると思います」
■マーケティングと経営はイコール
――経営におけるマーケティングの位置づけは?
「『経営=マーケティング』だと思います。社長兼CEOの高岡もマーケター的で、2人で考え方を擦り合わせながら取り組んできました。組織もこの考えに沿っています。ネスレ日本には、飲料やコンフェクショナリー(菓子類)など多くの事業部があり、各事業部がマーケティングとビジネス・経営の両方に責任を持ちます。事業部は担当するブランドや商品カテゴリーについて、製造から販売まで一貫したマーケティング戦略を立てます。一方、各事業部に『横串』を通すように、製造や営業、人事、ファイナンスといったサポート部門が協力して、ビジネスがうまく回るよう支援します」
「例えばコーヒーの新ブランドを立ち上げるとします。担当者は商品企画や製造、消費者コミュニケーションなど川上から川下までを見据えてマーケティング戦略を立てる。それから関連部署を巻き込んで事業を進めて収益化を目指す、というイメージです」
「CMOである私は、会社全体のマーケティング戦略に目を配ります。同時に、横串の面では、消費者に近いところのマーケティングと消費者コミュニケーションをサポートします。高岡は会社全体を見渡して、ビジネスとしての全体最適を図ります」
■カギは「組織より人」
――マーケティングを成功させるコツは何ですか。
「マーケティングやビジネスを成功させるには、イノベーション(革新)が必要です。消費者自身も気づいていない問題に気づいて、それを解決するのがイノベーションです。だから消費者調査では、リノベーション(改善)は起こせても、イノベーションは起こせません。また、こういう組織を作れば、イノベーションを起こせるという決め手はないと思います。良いアイデアを考えた人が、つぶされずに伸びていける組織運営を心がける必要はあるでしょう。でもやはり、カギは組織でなく人だと思います」
「成功のコツやノウハウははっきり言ってありません。考え続けて、世の中で起きていることを観察して、実際に解決策をやってみる。それを通じて個人の能力を磨くしかないでしょう。私自身はできるだけ幅広いジャンルの本を読んだり、テレビや新聞からニュースや情報を収集したりして、世の中で何が起きているかを一生懸命考えています。自分の考えと違う情報に接したとき、納得するのか、それとも何かおかしいと思うのか、自分の中で判断していく軸が大切だと思います」
石橋昌文
1985年、神戸大学経済学部を卒業し、ネスレ日本に入社。営業本部、ネスレUK、ネスレマッキントッシュ(現コンフェクショナリー事業本部)、ネスレのスイス本社などに勤務。2005年にネスレコンフェクショナリーマーケティング統括部長となり、常務執行役員コミュニケーションズ&マーケティングエクセレンス本部長などを経て、12年にCMOに。17年から専務執行役員。
(笠原昌人)
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