「世界が育ててくれた」 仲道郁代さんの子連れ演奏旅
ピアニストの仲道郁代さん(55)は昨年、デビュー30周年を迎えました。演奏の技術や人柄にファンも多く、子育てしながら第一線で活躍。お嬢さんを赤ちゃんのときから国内外の演奏旅行に連れていき、できる限りお弁当を作ってきました。今はお嬢さんも大学生になり、ますます精力的に活動しています。そんな仲道さんの独特の子育てや、お父様の介護についてご紹介します。
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演奏活動に飛び回っていた32歳のとき、妊娠が分かりました。初期は大事を取り、妊娠5カ月から8カ月までは国内の様々なホールで弾いていました。出産時だけコンサートをお休みし、産後1カ月で大きなホールのコンサートに出演しました。
帝王切開だったので入院が長引き、退院してすぐの復帰でした。海外では出産するときの入院は短いです。病気ではないからやればできると思っていました。これから産む人には産後は休んだほうがいいと言いますが…。若くて無我夢中でした。
24時間、自分の時間を取るのがままならない子育て。ピアノの練習がなかなかできません。ベビーラックに入れて足で揺すってみたり、おんぶして弾いてみたり。肩が凝るし、子どもも泣きだしていまい無理でした。1日に8時間ほどベビーシッターを頼み、休憩時間におむつ替えや授乳をしながら5、6時間は練習時間を確保しました。
舞台裏や楽屋でたくさんの大人に囲まれ育った
頼みの母は、長女が生後3カ月のときにがんを再発しました。そのころ長女はミルクを飲まなくなり、様々なメーカーの乳首を試してもダメで、4カ月から子連れで演奏に行くようになりました。
コンサートは月に6、7本と産前と同じペースでした。生後5カ月のときにハンガリーでの演奏があり、子連れで海外デビュー。以来、小学校に入るまでほとんど全部のツアーに同行しました。母は長女が10カ月のときに亡くなり、仕事が忙しかった夫とは3歳のときに離婚しました。
海外にもベビーシッターを同伴しました。両立できたとは言えないけれど、一緒にいることで仕事と子育てが同時にできました。エネルギーも要りますし金銭的にも大変でしたが、それをしないと仕事ができず、子どもとの時間がとれなかった。娘も私がどんな仕事をしているか肌で感じたのではないでしょうか。
たくさんの大人に育てられたのは良かったです。マネジャーが長女を抱っこして舞台袖や舞台裏にいました。ホールのスタッフにもかわいがられ、まさに楽屋で育ちました。
何が何でも逃したくなかった子どもの行事
仕事を減らさなかった理由は、ピアニストは舞台に立ってこそ向上していくものだからです。仕事を減らしたら子どもとの時間は増えて幸せだけれど、練習時間は増えません。
後で、子どもがいたから仕事ができなかったと思うのが嫌でした。1+1が2でなく、3になればいいと。子どもが元気をくれるので、頑張りました。幼稚園から高校までの「何が何でも逃したくない行事」は、先輩ママに聞いて「何月の何週目に入りそう」と予測を立てました。演奏会の予定が出る前に、事務所に調整をお願いしました。一度きりの運動会や発表会。子どもがいなかったら経験しなかったことで、楽しかったです。孫ができたら行事に出るのを楽しみにしているぐらい。
小さいときは、病気が多いもの。でも幼稚園から小学生のころ、娘を海外に連れていってもおなかも壊さず熱も出しませんでした。病気がちだったら演奏活動はできず、また違う選択をしないといけなかったです。ママ友にも救われました。預かってくれたり、お迎えに行ってくれたり。縫い物をする時間がなかったので、幼稚園グッズを作ってもらいました。
中学のときは毎日、お弁当の写真を撮っていました。今見ると、すごい量、品目なんですよ。よく食べましたね。おかずも何種類も作って、何を入れたか書き込みました。
娘のおかげで健康に生きてこられた
娘はピアノを小4でやめました。ピアノは毎日、規則正しく練習するのが大事。でも私の仕事で教える時間がなく、弾けない日もありました。本人がフルートを始め、トラベルソという楽器を続けています。
今は大学生になりました。10歳から茶道を一緒に習ってきましたが、今は娘だけお稽古に通っています。お料理も習っていますよ。タイプとしては私の母に似ています。自分で就活して進路を決めると思います。門限は夜11時。帰りが遅いと心配で何度もLINEして玄関で待っています。迎えに行ってあげると言うとやめてと言われて。当然とはいえ、少し寂しいですね。
娘は大人です。ママに言ってもしょうがないよねという感じで、衝突しません。たくさんの人に育ててもらっているからでしょうか。人の様子や気持ちをしっかり見ていると思います。
娘とはいつも一緒にいたけれど、100%見ていたわけではないと思います。自分の子でも100%、意識を向けているのは不可能。きっとどんな環境でも育っていくでしょう。そのときそのときに真実があって、それが精いっぱいです。
先日、長女に感謝しました。あなたがいたからバランスを考えて食事ができた、健康で生きてこられたと。私だけだと、いいかげんになってしまうから。子離れは課題ですが、自分の人生を生きてほしいと願っています。
私はがむしゃらに子育てしてきたけれど、周りからは心配されていたのでは。仕事を休んで育てればと思った人も多かったと思います。でも周りは私たちをサポートしてくれました。また赤ちゃんに触りたいな。幼稚園の行事はかけがえのない思い出。世界が広がり、娘と色々な世界を共有してきました。楽しかったです。
父の介護と育児、倒れたことも
育児と父の介護が重なった時期は、大変でした。父が倒れて半身が不自由になり、7年ぐらいは同居していました。小学生だった長女は、日記に「ママはいつも怒っています」と表現。父には「おまえといると気ぜわしいね」と言われました。娘のシッターさん、父のヘルパーさんの手配が大変でした。スケジュールを見ながら、私はここがいないからこうしようって。
倒れたこともあります。ストレスからか、首が凝って頭痛になりました。そんな時期に支えになったのが、ミニチュアダックスフントのクレアです。戌年生まれのクレアは高齢になったものの元気です。
父は家や行事のことが気になって、親戚が多い静岡の浜松に帰りました。お手伝いさんの助けを受け、一人暮らししています。これからまた色々あるかもしれませんが……。クレアには今も癒やされています。
ピアニスト。日本音楽コンクール1位、ジュネーブ国際コンクール最高位。ミュンヘン国立音大卒。著書に『ピアニストはおもしろい』など。2027年までの演奏プログラムを発表。
(ジャーナリスト なかのかおり)
[日経DUAL 2018年4月9日付記事を再構成]
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