イタリア仕込みの技術と知識 古澤氏が伝える日常料理
ガストロノミー最前線(4)
レストランばかりがガストロノミーの舞台ではない。料理を作るという行為が社会の中でどう機能すべきかを考えた時、いろんな可能性が見えてくる。「オルトレヴィーノ」(神奈川県鎌倉市)古澤一記さんの選択はそのひとつの答えだ。
料理人が出す店はレストラン――そう思い込んでいたかもしれない。古澤さんがイタリアから帰国して開いたのがワインと総菜の店と聞いた時、不意をつかれた気分になった。テークアウトとイートインができるイタリア版デリカテッセン。現地で「エノ・ガストロノミア」と呼ばれる業態である。
古澤さんはイタリアで10年間修業した。トスカーナ、サルデーニャ、エミリア=ロマーニャ、プーリアのレストランやトラットリアで料理を学ぶ傍ら、ワインの勉強にもいそしんだ。フィレンツェの名店「エノテカ・ピンキオーリ」ではソムリエを務め、最後の2年間はワイナリーに入って栽培と醸造を経験した。
この経歴を持ってすれば、どんな高級なリストランテのシェフになってもおかしくない。が、古澤さんは、イタリアで習得した知識と高度な技術を、非日常ではなく日常的なシチュエーションで提供したいと考えた。人々の生活の中へ、家の中へ入っていける形にと模索した答えがエノ・ガストロノミアなのである。
時間をかけて味をのせる
作るのは伝統料理だ。修業先のおばあちゃんやマンマから教わったレシピも少なくない。
修業先で地元の人々に溶け込んで、共に働きながら感じたのは、昔の料理が変わらずに作られ、守られている事実だった。「食べ続けてきたものの愛し方が濃くて深い」と古澤さん。野菜の煮込みにせよ、キノコのグリルにせよ、季節になれば必ず作る。それも昔ながらのやり方で。
「作り方の根底にあるのは、"時間をかけて味をのせていく"感覚です」
ちがさき牛のラグーパッパルデッレ 2350円。ハーブ、スパイス、香味野菜、赤ワイン、塩コショウをマリネした塊の牛スネ肉をトマト、ワイン、その他の野菜と共に5時間ほど煮込む。自然に煮崩れて、幅広の手打ちパスタにしっかり絡む。古澤さんの料理は日本人のDNAにはない独特の風味をたたえて、日常的でありながら異国の文化であることを突き付けてくる
トスカーナやエミリア=ロマーニャの店ではとにかく仕込みに時間を費やした。パスタに使うラグーであれば、大きな塊肉に塩やオリーブ油をすり込んで、焼いて煮込んで、ホロホロに煮崩れるまで火を入れる。食材の芯まで味が入って、味がのって初めて人に出せるものになる。「考えてみれば、オーダーが入ってから作る料理はほとんどなかったですね」。そう聞いて得心がいった。あぁ、それでなのか、オルトレヴィーノの料理を食べる度に感じていた、日本人のDNAにはない独特の複雑な味わいは。
良いものが日常にある幸せ
古澤さんは年に一度、イタリアへ帰る。「向こうで10年暮らしたことが過去にならないように」、修業時代に住んだフィレンツェ郊外の家を借り続けている。帰れば、80歳になる仲良しのおじいちゃんと食事に行き、のんびりと過ごす。
「どう考えても、日本よりイタリアの方が質素だし、経済的に恵まれているとは言い難い。でも、丁寧な暮らし方と心の満たされ方は圧倒的にあちらが上」
庭のオリーブの実からオリーブオイルを搾ったり、剪定(せんてい)したオリーブの葉で箒(ほうき)を作ったり、枝で籠を編んだり。そこにあるものをすてきに使いこなす知恵に、古澤さんは大切なものを見た。"時間をかけて味をのせていく"のは、簡素な食材をおいしく食べる方法なのだと、自ら作り続けて思うようになった。
そんな"良いものが日常にある幸せ"を伝えたくて、古澤さんはレストランよりエノ・ガストロノミアを選んだ。
オープンから5年。「総菜店、ワインショップ、レストラン、複合的に使えるからと言って、単体のクオリティーが落ちてはいけない。まだまだ途上です」
神奈川県鎌倉市長谷2-5-40
Tel 0467-33-4872
12:00~19:00(イートインは18:30LO) 水曜休
文=君島佐和子 写真=加藤純平
「料理通信」編集主幹。「Eating with Creativity」をキャッチフレーズに、食の世界の最新動向を幅広い領域からすくいあげている。
[日経回廊5 2015年11月発行号の記事を再構成]
前回掲載「畑耕しチーズ・生ハム 笹森シェフが弘前を選んだ理由」もあわせてお読みください。
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