挑み続けた70年の画業 横山大観展を見る
近代日本を代表する画家・横山大観の画業を紹介する展覧会「生誕150年 横山大観展」が東京国立近代美術館(東京・千代田)で開かれている。日本で最も長い画巻「生々流転」や富士山を描いた「群青冨士」などの代表作のほか、約100年ぶりに発見された作品など計約100点を展示。明治、大正、昭和と激動の時代を生き抜いた大観の画業をたどる。
明治元(1868)年に生まれ、大正、昭和に活躍した大観。今回の展示も時代ごとに順を追って構成されている。富士山を題材にした作品のように画壇を率いる立場になってからの代表作だけでなく、大観が絵を本格的に学び始めた東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業後に試行錯誤を繰り返した若手時代の意欲作まで並ぶ。
■巨匠は絵が下手だったとの見方も
「実は絵があまり上手ではない」。こう指摘するのは東京国立近代美術館の鶴見香織主任研究員。約100年ぶりに発見された「白衣観音」(1908)は、透ける白衣をまとった観音が岩場に腰掛けている様子が描かれた作品。「太ももの位置がおかしかったり、膝(ひざ)下のパースが狂ったりしている。骨格のデッサンがきちんと取れていない」とばっさり。「まだ巨匠然としていない若い時代の作品も楽しんでほしい」
大観の画業は常に挑戦の歴史だった。東京美術学校の助教授を務めていた明治期、親交の深かった日本画家・菱田春草らとともに「朦朧(もうろう)体」と呼ばれる技法を生み出した。
朦朧体は輪郭線を描かずにたくさんの色をぼかし重ねてモチーフを描く技法。日本画は輪郭線を描く筆法を見ればその流派が判明するといわれるほどで、筆法は日本画の要とも捉えられる。これに対し大観はその輪郭線を描かない表現方法を模索した。
「迷児」(1902)では新たな技法と画題に挑戦した。絹に木炭で描き、洋画の木炭デッサンの手法を意識している。孔子、釈迦、老子を描く伝統的な画題に、キリストと女の子を加えて描き、宗教観の変化など世相を表現した。
■時代が大観に追いついた
様々な技法や画題に果敢に挑み続けた大観だが、明治期の画壇での評価は低かった。朦朧体は「勢いがない」と強く非難された。その評価は大正期に入ると次第に変化する。「新しいものがもてはやされた大正期に入り、時代が大観に追いつく形で評価も上がっていった」(鶴見氏)
画壇を代表する立場になってもチャレンジ精神は忘れなかった。重要文化財「生々流転」(1923、東京国立近代美術館蔵)は大観が55歳の作品。しずくが大河になり海に注ぎ、やがて昇天して雲になるという水の流転を約40メートルもの画巻に描いた。「常人とは違ってキテレツなことを好み、見る人を驚かせたいという大観の性格が飽くなきチャレンジ精神を生み出している」(鶴見氏)
89歳で没するまで常に新たな技法や主題を模索し続けた大観。今回の回顧展では、日本画壇の大家としての姿よりも、常に挑戦者であり続けた真の大観像に触れられるはずだ。目まぐるしく変化する現代を生きるビジネスパーソンこそ、大観が歩んだ挑戦の歴史に心を揺さぶられることだろう。
(映像報道部 鎌田倫子)
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