「フェミニスト」に男性も名乗り 短絡イメージを払拭
ダイバーシティ進化論(水無田気流)
大学でジェンダー論を教えていると、よく直面する誤解に「フェミニズムは男性・男社会=悪という前提のもと、女性が男性に異議申し立てする思想運動」だとの認識がある。
この基底には「男性対女性」の短絡的な二項対立図式がある。例えば2月、都内で女性専用車両に「男性差別」と男性が乗り込み、遅延を招いて話題になった。その運動を起こした男性も、その場で退出を要請した女性たちの対応も、さらにはそれらに対する感情的な反応なども、俯瞰(ふかん)すれば、男女の二項対立が前提といえる。
同事件には、背景にある性犯罪や性被害の実態のほか、都市部の公共交通機関の現状など幾重にも検討すべき社会問題がある。ところが問題を単なる男女の対立図式に落とし込んでしまうと、それらの諸相をはぎ取る危険性をはらむ。
私見では、フェミニズムはもはや「(生物学的な)女性だけ」の問題ではない。大枠では、社会の性規範が個人の多様な個性や適性に対し阻害的に働く事態を問題視し、解決に向け何ができるかを考えることが中軸にある。個人の尊厳を守るために、必要な性の尊厳をいかにして守るかが課題となる。この大切な課題を問う資格は、誰にでも開かれてしかるべきだ。
世界を見渡せばカナダのトルドー首相やオバマ前米大統領のように、昨今はフェミニストを名乗る男性も珍しくない。3月の国連女性の地位委員会ではグテレス国連事務総長が「私は誇り高きフェミニスト」だと宣言。2017年には、人種や性差別などの発言を繰り返すトランプ米大統領への批判から、ハイファッション業界でも移民や女性の権利を印字したTシャツが発表され、多様な体形・人種・年齢のモデルを起用したショーが多数開かれた。
機運は続いている。アーティストのビヨンセや女優エマ・ワトソンらがフェミニストを自称。いまやフェミニストであることは、多様性や人権に配慮し「クール」であることの象徴だ。
この現象を、作家・編集者のアンディ・ゼイスラーは「マーケット・プレイス(市場)フェミニズム」と呼ぶ。あらゆる「ブーム」と同様にやがて飽きられる懸念もあるが、フェミニズムについての短絡的で曲解されたイメージを払拭し、人権の問題として広く討議する機会を与えた貢献は大きい。今後も注視して行きたいと考える。
1970年生まれ。詩人。中原中也賞を受賞。「『居場所』のない男、『時間』がない女」(日本経済新聞出版社)を執筆し社会学者としても活躍。1児の母。
[日本経済新聞朝刊2018年4月16日付」
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