丼も皿もハヤシもあり 静岡、異色のカツ丼ワールド
カツ丼礼賛(16)
愛知県、長野県、山梨県、神奈川県と隣接する静岡県。愛知県の味噌カツ丼や山梨県のソースカツ丼などの影響を受けたカツ丼がありそうなものだが、ほとんどの地域のカツ丼の主役は「玉子系」だ。「玉子系」と書いたのは、一般的な卵とじとはちょっと違う、ユニークな卵を使ったカツ丼がちらほら存在するからだ。
静岡県内にはカツ丼として地域性があるところはあまりないが、数少ない地域の名物カツ丼と言われるのが富士市の「カツ皿」だ。メディアでもよく紹介されるが、初めて見た人は一様に驚く。その名の通り皿盛りなのだが、一見しただけでは何の料理かわからない。
皿盛りのご飯の上に、ゆでキャベツ、トンカツ、その上からとろとろのだし卵とでもいおうか、皿全体が黄色い卵のベールで覆われる。店は昭和2年創業の「そば 食事処 金時」。この卵にだしがしっかり効いており、甘めの味付けになっている。かなりたっぷりの卵で、食べている感じはカツ丼なのだが、実に個性的なメニューだ。
このカツ皿は2代目の女将さんが思いつき、50年の歴史があるそうだ。平皿で、スプーンで食べるのは、洋風のアレンジメニューとして考案したから。和風のだしだがスタイルはハイカラ、というわけだ。
実はこちら、メニューにはカツ丼もちゃんと存在する。半熟卵でとじられており三つ葉がのる、ビジュアル的にも食欲をそそる正統派の一品なのである。
現在カツ皿の提供が確認されているのは、「金時」を含め3軒。新富士駅の「するが蕎」はご子息の店だそうで、もう一軒は現在のご主人の祖父が、「金時」で修業して独立したという「きんせいけん」だ。
昭和40年ころの創業ということで、こちらにもカツ丼とカツ皿がある。だしの効いた「たまごのソース」がたっぷりとかかっており、付け合わせは福神漬け。トッピングにグリンピースが散らされ、洋食的な演出となっている。甘みがしっかりとあり、また少しタイプの違うカツ皿が味わえる。
静岡市には、カツ丼はこういうものとしっかり類型化できるものではないが、老舗の食堂をはじめ、個性的な美味カツ丼が複数ある。昭和15年創業の「清見そば」は、ラーメンなど、様々なメニューがメディアに紹介されているが、こちらのカツ丼はまたユニークだ。
卵とじだが、はっきり分かる形で中央部に中濃系のソースがかかる。このソース、意外にスパイシーで、カツ丼本体の味付けは甘め。独特のバランスだが、これもあり。衣もつゆを吸っているのに、へたらない。色々不思議なカツ丼だが、全体として完成度が高い。歴史ある店の個性的なカツ丼で、こちらもトッピングにグリンピースの緑の色合い。昭和である。
「名代カツ丼 おざわ」のカツ丼にもソースが香る。卵とじのカツ丼で、福島や長野のソース卵とじカツ丼と比べると、ソースがかかっているのが見えにくく隠し味的な使われ方。第2次大戦前後に創業したようだ。
味わいは単なるソース味ではなく、ソースも使った独特のタレという印象。ソースのアクセントはさほどきつくはなく、絶妙なバランス。カツは肉が軟らかくうまい。トッピングにここでもグリンピース。バランスの難しいしょうゆとソースをわざわざ合わせた逸品だ。
見た目のインパクトがかなり強いキャベツカツ丼というものがある。北海道にはキャベツ天丼というものがあり、それはキャベツのてんぷらの丼。こちらのキャベツカツ丼は千切りキャベツたっぷりのソースカツ丼のことだ。
このカツ丼、提供しているのは「辰金」。なんと老舗のうなぎ屋さんだ。明治30年代半ばに創業したという。メニューはうな丼とキャベツカツ丼のみだ。キャベツカツ丼はロース、ヒレ、チキンの3種類。当初はチキンで始まったらしく、エビもあったそうだ。
キャベツカツ丼はキャベツがカツの上にたっぷりのる。キャベツのポジションは普通のカツ丼と逆さまだ。しょうゆベースであろうソースカツ丼はやや甘め。大量のキャベツのおかげでさっぱり食べられる。カツは「とんかつ」というよりも「ポークカツレツ」のさくっとした軽いイメージ。
静岡市の西方、浜松市舞阪でも個性的なカツ丼を見つけた。創業ははっきりしないが戦後すぐくらいからやっているという「晴美」だ。カツ丼はかなり甘いタレ味で、個人的には私の好みだ。タマネギをカツとは別に卵でとじて、それが添えられるようにのっている。
こうした卵とじ後のせタイプのカツ丼は、とんかつがそのままごはんにのせられているだけなのが一般的だ。だが、こちらはカツにもしっかり甘いだしで味付けされている。カツだけでも、たれカツ丼のようにそのままでも食べられるが、卵とじもついてくるというお得なスタイルだ。
静岡市の東、三島駅近くの長泉町というところで、また非常にいい店と出合った。昭和33年創業の老舗「富士見軒」。先代から継いだご主人が亡くなられ、現在女将さんが一人で切り盛りしている。ここのカツ丼が秀逸だった。
今回頼んだ上かつ丼にはタマネギはもちろん、具としては珍しいナルトとカマボコ、たっぷりのタケノコが入る。ナルトは栃木・茨城あたりで散見。タケノコは北海道定番の具だが、本州ではめったにお目にかからない。
とんかつにはコショウがしっかり効いており、全体としてははっきりした味わいで、後味にコクがある。もともとラーメンが評判の店で、和風だしに評判のラーメンに使われる鶏がらスープを使っているようだ。こういうカツ丼に出合えると何だかわくわくする。
さてカツカレーなら知らない人はいないだろうが、カツハヤシを知っている人はどれくらいいるだろうか。いや知らなくともおそらくご飯とカツにカレーをかけたらカツカレーなので、ご飯とカツにハヤシソースをかけたものという想像はつくだろう。このカツハヤシ、意外とありそうでない。
インターネットを検索すると、東京にもカツハヤシは少なからずあるようだが、なぜか静岡県沼津市の「千楽」が上位に出てくる。検索で上位にくる理由はわからないが、ともかく食べた満足度は非常に高い。
老舗洋食店の「千楽」のカツハヤシはボリューム満点。ご飯も、カツも、ソースもたっぷりだ。もちろんハヤシソースの味は本格派。デミグラスソースだけでも十分なのだろうが、「カツハヤシ」なので、豚肉とタマネギも具としてかなり入っていて、その量にまた思わず笑みがこぼれる。地元で人気の必食の一皿である。
静岡はいろいろな意味で標準的なため、新商品のテストマーケティングがよく行われると聞いたことがある。カツ丼に関しては必ずしも標準的、というわけではないユニークなものも長く地元に愛され、息づいている。
(一般社団法人日本食文化観光推進機構 俵慎一)
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