中学受験では、自分の意見を持ち、発信できる人がいるところへ行きたいと思っていました。海城中学は入試の設問も選択式ではなく記述式を採用する数少ない学校でした。母親と一緒に学校見学にも行きましたが、海城は自分の意見を言える主体的な学生が多くいると感じ、そうした多様性を受け入れる校風をもった海城がいいなと思いました。

入部した弓道部が突然廃部に。そこで、自ら部活を立ち上げた。

「ゲームが強かったから一目置かれ、自然と遊戯部の仕切り役になった」と振り返る

中学入学と同時に弓道部に入りました。ところが、中学2年の時に、学生の自分たちには「学校側の都合で」としか教えてもらえなかったのですが、弓道部は廃部になってしまいました。

入りたい部がないなら自分で作ればいいと考え、友達と一緒に学校非公認の「遊戯部」を創設。放課後、あちこちのゲームセンターに行ったり、ボーリングをしたり、フットサルをしたりと、遊びを開拓していました。

要は毎日、遊んでいただけですが、いちおう私が部長として活動を仕切り、部としてのまとまりはありました。昔から仕切るのが好きで、経営者向きの性格だったと思います。部員は同学年だけでしたが、全部で30人ぐらいいました。

遊戯部の活動が楽しくなると、反比例するように、だんだん勉強に身が入らなくなりました。最初は中学クラスの中でトップクラスだった成績も、中3くらいから、得意だった数学を除いて軒並み降下。でも、成績が下がっても、高校受験する必要がないので危機感はゼロでした。

学校の勉強はできませんでしたが、むしろ、周りから一目置かれるような存在だったのではないでしょうか。理由は、ゲームがめちゃくちゃ強かったからです。

ゲームは小学生のころから得意でした。小学生の時にスーパーファミコンが大流行しましたが、経済的理由から親にゲーム機を買ってもらえず、友達の家に行き、友達が帰ってくるまでの間だけやらせてもらいました。遊びとはいえ、限られた時間の中で集中して遊んだのが、人より上達した理由だと思います。

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