緊張はプレッシャーではなく、エネルギー(井上芳雄)
第19回
井上芳雄です。前回は2月は歌の仕事が多かったという話をしました。3月にも仙台で開催された「つながる心 つながる力 みんなでつくる復興コンサート2018」で歌う機会がありました。歌うときは、俳優の仕事とはまた違った筋肉を使います。そのための練習もしますし、本番では緊張やプレッシャーを乗り越える精神的な強さも必要です。僕の場合、どんなふうに歌の仕事に備えているのか。今回はそれを話したいと思います。歌がうまくなったり、本番に強くなりたいという人の参考になるかもしれないですね。
歌の仕事が近づくと、意識するのは声の幅を広げることです。高い声や低い声を使えるようにします。というのも、僕を含めて日本人はしゃべるときの高低のレンジが狭いんです。アメリカや韓国、中国の人は普段の会話から高い声も出していて、テンションが高いといわれたりもしますが、歌には向いてます。日本人はそうでもないので、意識して高低の幅を広げないと、プロの歌声になっていかない。低い声を使うことも同様です。
歌は口の中を広げてのどを共鳴させるので、口を大きく開けられるようにしておくことも大事です。普通にしゃべっているときは広げる必要はないので、これも意識しないとできない。口も筋肉だから、鍛えないと急には開かないんですね。だから毎日、口を開く動作を練習します。
ただ、運動の筋トレと違うのは、動作だけを繰り返すというよりも、歌いながら体を慣らしていく。実際の動きによってつく筋肉がベストなので、歌の仕事が近くなってきたら、少しずつ歌い始めます。最初のころは声が出ないのでストレスを感じますが、繰り返していくと、口もしっかり開いて、高い声や低い声が出てくるようになるのが自分でもわかります。
そうやって練習を重ね、いざ本番となると、今度は緊張との闘いです。歌は1人でステージを支配して世界を作り上げる、究極のひとり芝居ですから、本番前は本当に体が冷たくなるくらい緊張します。不安は「難しい歌をちゃんと歌えるかな」というときもあるし、「何をしゃべろうかな」「歌詞を覚えているかな」というときもあります。たくさん場数を踏んでいるはずなのに、年ごとに緊張が高まっている気がします。経験を積んで、いろんなことが分かったぶん、怖くなっているのかもしれません。
そんなときは、なぜ緊張しているかを自分なりに分析して、プラスに考えるようにしています。例えば、「ゲストとして場を盛り上げないといけないけど、どんな出方をして、何を言ったらいいのか。それで緊張しているだけで、ステージに出てしまえば、きっとうまくいく。お客さまは、みんな僕の味方だから」と自分に言い聞かせるわけです。
だから、考え方の方向でしょうね。僕の場合は、それでたいてい練習よりも本番の方がうまくできます。「この音は高過ぎて出ないな」と思っていても、本番になったら半音ぐらいキーが上がることもあります。体が興奮してテンションが上がるせいで、歌いやすくなるんです。
シャンソンの女王といわれた越路吹雪さんも、毎回緊張してステージの袖でぶるぶる震えているのを、マネジャーの岩谷時子さんが背中を押して、舞台に送り出していたそうです。きっと本当に緊張していたのもあるだろうし、自分をあえてそういう状態に追い込んでいた面もあるように思います。不安や恐怖を乗り越えて生まれてくるものの中にこそ希望や喜びがあり、それを見いだして、お客さまは感動するのだと思うからです。
僕も最近は、何の怖さもなく余裕を持って人前に出ていくよりも、緊張と闘っているギリギリのところでやるパフォーマンスの方が、人を引きつけるんじゃないかと思うようになりました。だから緊張はプレッシャーではなく、エネルギー。そう考えて、本番のステージに向かっています。
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP社)。
「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第20回は4月21日(土)の予定です。
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