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キャリアの原点

局アナから起業家へ 子育ての苦労をビジネスに ポピンズ 中村紀子会長(上)

2018/4/7

中学から大学までずっと女の園で生きてきました。要領だけで、ろくに勉強もせずにやってきたので、番組の司会役、小金治さんの軽妙トークにもテンポよく合わせることができません。カメラの前で私ができることといえば、ただニコニコしているだけ。「お前は人形か」。放送終了後の反省会は毎回、私にとっては修羅場で、トイレで一人涙する日々でした。

男女雇用機会均等法や育児介護休業法ができ、結婚・出産後も働き続ける女性は増えている。だが、当時はまだ「寿退社」という言葉がまかり通る時代だった。

入社後3年目に結婚しその翌年、妊娠が分かり、テレビ局を辞めました。結婚相手は今で言うベンチャー企業の経営者。それからが大変でした。

娘が生まれた時期はちょうど第1次石油ショックと重なります。景気が悪化し、夫の会社の経営状態が傾いていきました。毎月の新聞代すら払えない状態が続きました。そうこうするうち、ついに夫の会社が倒産。住んでいたマンションや家財道具類はすべて差し押さえられ、どん底生活に陥りました。

創業当初のオフィスには電話回線が1本、机が2つだけだった

フリーのアナウンサーとして仕事を再開したのは、稼がないと家族が路頭に迷うから。古巣のテレビ局がいくつか仕事をあてがってくれた。

それでもテレビの仕事は不規則です。深夜・早朝に及んだり、海外で長期取材が伴ったり。子育てしながら仕事をする上で、いつも付きまとう課題が、娘の世話をどうするか、でした。

両親に託すか、ベビーシッターにお願いするか。選択肢は2つ。とはいえ両親の都合もあります。ダメな時は、やむを得ずベビーシッターに頼まざるを得ないわけですが、愛娘を託す以上、信頼できる人にお願いしたい、と思うのが親心です。

シッター探しには随分と苦労しました。「この人ならば」と思える方に出会うまで、何人も交代が続きました。出会ったシッターさんの良かった点、悪かった点をきちんと記録していたノートの内容が後のビジネスに生きています。

テレビの仕事のほかに、勉強会の司会の仕事も担当した。その仕事を紹介してくれたのがダイヤモンド社の当時の社長だった。

ダイヤモンド社の石山四郎さんはアフタヌーンショーにも何度か出演いただきました。以来、私にとっては父親のような存在でした。勉強会は石山さんが主宰し、松下幸之助さんや本田宗一郎さんら当時の日本を代表する経営者の方々が顔をそろえるものでした。

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