『メリー・ポピンズ』 みなぎる躍動感、出色のダンス
圧倒的なダンスシーンにノックアウトされた。3月下旬に開幕したミュージカル『メリー・ポピンズ』を見にいったら、群舞が抜群。舞台を目いっぱい盛り上げるダンスのアンサンブルがこれほどパワフルなのは、ちょっとないことだ。日本のミュージカルの進化を証明する日本初演だろう。
誰でも耳にしたこのある『チム・チム・チェリー』で始まるこのミュージカル、なんといってもジュリー・アンドリュース主演のディズニー映画(1964年)で有名。舞台版をプロデュースし、2004年に英国で初演したのも、やはりディズニーだった。子供の心が踊りとなって躍動し、舞台にファンタジーの花を咲かせるスタッフの技にうならされた。
魔法のつかえるスーパーナニー(子守)のメリー・ポピンズは傘をさして空からやってくる。裕福な銀行家の家に舞い降りて、いたずら盛りの姉弟を楽しくしつける。父親は忙しさのあまり家族をかえりみないが、事業に失敗しかけたところで子供の心を取りもどし、家族は団結する。原作はP・L・トラバースの児童文学だ。
日本でもおなじみ、英国ダンス界のスター、マシュー・ボーンがスティーブン・ミアと共同振り付けした2幕構成で、それぞれに見せ場がある。1幕、言葉を売るミセス・コリーの家でアルファベットの字を買って、架空の言葉をつくるシーン。できた言葉は「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」。舌をかみそうな言葉をリフレインし、絵本から抜け出たような人物たちがめくるめく動きをみせる。
2幕には、煙突掃除屋さんの大群とメリー・ポピンズ、子供たちがタップダンスで入り乱れるシーンがある。煙突掃除のバート(大貫勇輔、柿沢勇人のダブルキャスト)が個人技をみせ、舞台最上部を逆さまに歩く曲芸的シーンをへて、さらに「ステップ、ステップ」と連呼してクライマックスにいたる振り付けは迫力満点だ。英国演劇界の権威あるオリビエ賞で最優秀振付賞をとった総踊り。日本の歌舞伎や宝塚だと主に横に広がる絵巻になるが、このミュージカルでは奥行きを生かし、後ろから駆けてくる。立体感が出るのだ。
平原綾香、演技に長足の進歩
ダブルキャストで主演をつとめる濱田めぐみ、平原綾香も期待以上のできだった。濱田は劇団四季出身らしい明瞭な発声が美しく動きにキレがあり、この世ならぬツンツンした感じが面白い。きびきびした動作を示す擬態語「サッサッサ」の小気味良さ。一方の平原は昨年の『ビューティフル』で本格的に舞台デビューを果たしたばかりなのに、演技に長足の進歩をみせる。歌がうまいのは折り紙つきだが、自然に愛敬がにじみでるのがいい。傘をさしてのフライングは「お約束」ながら、これも実に自然な流れだった。
『オペラ座の怪人』や『レ・ミゼラブル』を手がけた大物プロデューサー、キャメロン・マッキントッシュとディズニーが提携し、世界各地で評判になったプロダクションである。ディズニー・ミュージカルといえば『ライオン・キング』や『アラジン』を上演した劇団四季の専売特許かと思いきや、今回はミュージカルの新旧勢力、ホリプロと東宝が手を組んだ。
ホリプロ、ミュージカル制作の新勢力に
ホリプロは昨年、子役が大活躍するロンドン・ミュージカルの傑作『ビリー・エリオット』の翻訳上演で衆目をあっといわせた。読売演劇大賞の最優秀作品賞を1票差で逃したが、菊田一夫演劇賞の大賞を射止めている。古くは『ピーターパン』や『ビッグ・リバー』といった大型ミュージカルの制作経験があるが、若い堀義貴社長の野心的な姿勢が近年際だつ。
『ビリー』は本来、手を出しにくいプロジェクトだった。日本では子役の就業時間などに制約が大きく、長期稽古となればメンタルケアも欠かせない。仕込みが長引けば、経費を膨張させる。しかも、英国人スタッフは質の面で妥協しないことで有名だ。子役とはいえ子供扱いせず、同時にきめ細かな配慮を怠らない海外スタッフの手法を『ビリー』で学んだホリプロは『メリー・ポピンズ』で早くもその経験を生かしたようだ。蜷川幸雄の舞台をロンドンで手がけ、制作力への海外の評価を飛躍的に高めたホリプロが四季、東宝と競争する第3の軸となれば、日本のエンターテインメントはいっそう面白くなるだろう。
進化する翻訳ミュージカル
さて今回、翻訳ミュージカルの進化を実感させたのは、日本版の演出家ジェームズ・パウエルを驚かせたというダンスアンサンブルの力。『レ・ミゼラブル』をはじめ数々の翻訳ミュージカルを支えてきた音楽監督の山口●(たまへんに秀)也が日本人スタッフに加わるが、聞いてみると3年ほど前からオーディションをし、周到にダンスの訓練を積んできたという。山口は歌、演技、踊りのスムーズな流れをつくるプロだ。『レ・ミゼラブル』の日本初演から30年あまり、まさに「ローマは1日にしてならず」である。
翻訳力の向上も見逃せない。同じことを言い表すのに日本語は英語と比べ長くなる。多くの内容を一気に言い表すことが難しく、原曲に合わせると聞き取りにくくなりがち。その点、高橋亜子の訳詞は『何もかもパーフェクト』『どんなことだってできる』『鳥に餌を』などを平易な言葉に訳し、見事だ。帰り道に口ずさめること、それがミュージカルの楽しさには含まれているのである。常田景子訳のセリフも明快で、日本人の器用さをうかがわせるこうした細部に、進化の跡がみえるのがうれしい。
いささかほめすぎたから、苦言を少々。仕込みにお金がかかるとはいえ、S席1万3500円のチケット代は安くない。日本では四季しか実現していないロングランシステムが拡充すれば、もう少し小ぶりの劇場で理想的な上演ができ、料金も下げられるだろう。日本のエンターテインメントの将来を思えば、駄作を交えて乱発するより、名品を息長く上演することにより意義がある。
海外上演仕様のため、全体にスッキリまとめられてはいる。だが、オリジナル演出のリチャード・エア(マシュー・ボーンと共同演出)、夜空に浮かぶ傘のシルエットや極彩色の花園を見せるボブ・クロウリーの舞台美術など英国演劇界の才能にはため息が出る。オリンピック選手の強化策ではないが、日本のミュージカルを育てるには目下のところ、妥協を許さない海外の優秀なスタッフを招くことが必要だろう。
英国では、シェイクスピアをはじめとする演劇芸術の振興が才能をつくり、翻ってエンターテインメントを豊かにする。日本でも翻訳ミュージカルの進化の先には、国産の時代が見えてくる。科学技術の基礎研究にあたる演劇芸術の振興がますます大切になってくる。5月7日まで、東京・東急シアター・オーブ、5月19日~6月5日、大阪・梅田芸術劇場メインホール。
(編集委員 内田洋一)
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