禁酒法が育てたカナダのシーグラム、その絶頂と消滅
世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(16)
これまで、世界の代表的なウイスキーを紹介してきたのは、それら全てのタイプの中で、現在の日本ウイスキーの形がどのように選択されたかを考えてみるためだった。今回のカナディアンウイスキー、実は日本独自の技術が製造工程の中に取り込まれている。その技術がカナダでどう展開され、独自のウイスキーの誕生につながってきたのだろうか。
その前に、我々は世界最大のスピリッツ会社の崩壊に立ち会おう。カナダで第1次世界大戦中に施行された禁酒法でその本質を学んだサミュエル・ブロンフマンが、1920年に施行された米国禁酒法下で何を行ったか、から話を進めよう。
1916年、地元カナダで偶然遭遇した禁酒法。第1次世界大戦参戦に伴う措置だった。この体験が役立つ時が来た。1920年、米国でも禁酒法が施行された。その3年目に彼らが行ったのが、禁酒法下のケンタッキー州の閉鎖された蒸溜所の設備取得、カナダへの移送、組み立て、再稼働である。
ブロンフマンはここで素晴らしい決断をする。立ち上げたその蒸溜所の原酒をすぐ出荷せず、片っ端から樽熟成に回したのだ。短期貯蔵では原酒は十分に樽熟成しない。その出荷は目先のキャッシュフローは生み出すが、品質に対する評価はむしろ損なわれてしまう。
その代わり彼が売りに売ったのは、スコッチのビッグブランドであった。当時世界最大のウイスキーメーカーであったスコットランドのディスティラーズ・カンパニー・リミテッドと輸入代理店契約を結んだのである。1927年に買収したシーグラムによりもたらされた利益がこの後の驚くべき戦略を可能にする。ブロンフマン個人も天文学的数字の資産を築く。
1933年に禁酒法が廃止された際、ブロンフマンが取った戦略は卓抜なものだった。カナダの自社蒸溜所で長期間樽熟成した原酒を米国に輸出し、それを以前からあるアメリカンウイスキーのボトルに詰めて売り出したのである。樽熟成期間の短いウイスキーを駆逐するためであった。彼のウイスキーは市場を席巻し、当然圧倒的な売り上げを実現した。禁酒法時代14年間のブランクでご破算になった米国市場におけるウイスキー品質スタンダードの再構築を行ったのである。ため込んできた熟成の進んだ自社原酒にものを言わせた卓抜な戦略であった。シーグラムはその製品の高い品質で禁酒法時代の暗い過去と決別したのであった。
彼はまた、禁酒法時代に閉鎖されていた米国各地の蒸溜所の買収を進め、その数は13カ所に上った。買収先がつくる未熟な原酒を詰めたウイスキー製品を直ちに止めさせ、彼の持つ熟成した原酒を使った製品に切り替えていった。
1934年、彼は満を持して新製品を発売する。製品名はシーグラム7クラウン。現在でも販売数量上位のアメリカンウイスキーである。
一方、カナダにおいて今日でも販売しているクラウンローヤルを新発売する。1939年の現エリザベス女王と父ジョージ4世のカナダ訪問を記念したウイスキーであった。
シーグラムは製品ポートフォリオ充実のため、買収にも積極的であった。対象はスコッチウイスキーやアイリッシュウイスキーだけでなく、シャンパーニュをはじめとしたワイン、コニャックにも及んだ。
不世出と言ってもいい手腕を発揮したブロンフマンが亡くなったのは1971年、息子のエドガーが後を継いだ。業績は順調であった。最大のライバル、英国のディスティラーズ・カンパニー・リミテッドは買収合戦に巻き込まれて、業績は停滞していた。シーグラムは世界のスピリッツ会社の頂点に上り詰めていた。
ところが、1980年代になると、世界の王座に君臨していたシーグラムの業績が落ち始めた。工場の統廃合などの合理化で創業の工場、オンタリオ州のウオータールー蒸溜所も無くなった。
そして、1994年を迎える。エドガーは自身の息子、エドガー・ジュニアに経営をバトンタッチする。
残念ながらこの息子はスピリッツ事業に興味がなかった。ハリウッドに代表される映像、メディア、エンターテイメント事業に心を奪われていた。ブロンフマンが「3代目まではシャツの袖まくり(して現場で汗を流せ)」と言っていたが、3代目のこの息子はぜいたくに育てられ過ぎた。
1995年、彼はユニバーサル・ピクチャーと数カ所のテーマパーク、MCA、ポリグラム、ドイツグラモフォンの買収資金を捻出するため、当時会社の利益の70%をもたらしていたデュポンの株式を1兆8000億円で売却する。さらに2000年には買収した後、業績低迷が著しかったエンターテインメント事業をフランスのメディア/電気通信会社、ヴィヴェンディに売却し、巨額の損失が発生する。
それだけではなかった。同時に彼は酒類部門もペルノー・リカールとディアジオに売却したのである。かつては、世界最大級の売り上げと最高の利益率を誇った酒類部門には、高いブランド力を保持しているオリジナルブランドポートフォリオと250のブランド、そのブランドエクステンションがあった。それらが売り払われたり、廃棄されたりしたのである。
2002年には飲料部門をコカ・コーラに売却するとともに社名シーグラムの長期使用契約をペルノーと締結する。こうしてエドガー・ジュニアが会社を継承してわずか8年でカナダの生んだ世界最大のスピリッツメーカーが完全消滅した。
現在、前述のカナディアンウイスキー「クラウンローヤル」を製造しているのは、かつて輸入代理店契約を結んだディスティラーズ・カンパニー・リミテッドの後身、ディアジオである。
2つ目のエピソードはウイスキーづくりの技術にかかわる。信じられないような事実を知ってしまったのだ。今から4半世紀前、その時の驚きは今でもよく覚えている。
遭遇の場所は、オンタリオ州ウィンザーにある蒸溜所。サントリーが40年以上にわたって輸入販売してきたカナディアンクラブの原酒製造工程見学中にその瞬間が来た。
カナディアンウイスキーは、実は日本の醸造技術を取り込んだ製造方法を発達させてきたのである。
酵母を添加して発酵させるための糖液をつくる仕込み工程では、原料のトウモロコシとライ麦を粉砕し、湯を加えて煮沸させると、粘性のあるかゆ状態になる。そのままでは固まってしまうので、αアミラーゼと呼ばれる酵素を働かせてさらさら状態にする。そして、βアミラーゼという酵素でデンプンを分解し、糖化していく。
日本でもスコッチで、この2つの酵素の供給源として粉砕した麦芽を加える。案内者に加える麦芽の量を質問した私は答えに驚いた。考えられないほどの少量だったからである。それで十分糖化できるのか尋ねたところ、酵素を使用しているから大丈夫という返事。酵素は何かと聞くと、培養液それも日本原産麹菌を液体培養したものだという。
何のことかと戸惑われるかもしれないので補足する。
デンプンは直接発酵して酒になることはない。デンプンを分解して糖に変える糖化という工程が必要だ。酒税法の規定で日本ではこの糖化酵素は発芽した穀類(つまり、麦芽)由来のものを使うことになっている。スコッチもアイリッシュもそうだ。ところが、カナダと米国にその縛りはない。そして、カナダでは、何と日本から伝わった麹菌を使用しているとのことだった。麦芽を全く使わない場合、日本の酒税法では、スピリッツ類スピリッツか焼酎に分類されてしまう。
カナディアンウイスキーに麹菌が使われ出した経緯について、その時は皆目見当もつかなかった。
それからの25年の時間は、私に様々な情報をもたらしてくれた。
皆さんは高峰譲吉をご存じだろうか? タカジアスターゼ、アドレナリンの発見者、人造肥料の開発者、そして、ベークライトやアルミ工業の発展を技術支援した化学者である。手掛けたテーマはほぼすべて企業で実用化されている。そうして生まれた会社の多くは、今日でも存続している。人造肥料の日産化学、ベークライトの住友ベークライト、アルミ精錬の日本電工(現新日本電工)が、タカジアスターゼとアドレナリンの三共製薬(現第一三共)などである。
彼は1854(嘉永7)年、現在の富山県高岡市で生まれ、1922(大正11)年、ニューヨークで67歳で亡くなった。
日本ウイスキー編で詳しく触れるつもりだが、かいつまんで彼と麹菌とカナディアンウイスキーの関係をお話する。
譲吉は1873(明治6)年19歳で工部省の中に設置された工学高等教育機関、工部大学校に入学し、1879(明治12)年25歳の時、応用化学科を首席で卒業する。工部大学校にはグラスゴー大学系の教師が多かったこともあり、大学院の進学を前提に成績優秀者にはグラスゴー大などに留学する制度があった。譲吉も卒業の翌年1880年、26歳でグラスゴーのアンダーソンカレッジに留学し、専攻分野だけでなく、多くの分野について勉学に励む。
母親の実家が造り酒屋で日本酒醸造に詳しかった譲吉は、ブレンデッドウイスキーの発明により急速な発展を遂げていたスコッチウイスキーに興味を持ち、その原酒製造工程を調査する。そして、発酵に必須な糖の供給源となっている麦芽に着目する。デンプンを麦芽の持つ糖化酵素で分解し、麦芽糖にする工程だが、麦芽の糖化力は日本酒で使われている麹に比べれば弱く、オオムギを麦芽にするには1週間かかり、オオムギの価格変動は大きかった。
譲吉は、麦芽の代わりに麹菌を使うことでより安価で効率よくもろみをつくる工程を考案した。
1883年、29歳でイギリスから帰国すると農商務省に就職。1885(明治18)年ニューオーリンズ万博出展の出張の際知り合ったキャロラインと結婚。夢と一緒に米国で、ウイスキー製造における麹菌の活用の研究は進めた。コムギの皮(麸=廃棄物=安価)を材料として使用し、麹のデンプン分解力を利用するというものだった。同時に譲吉は種麹そのものの改良にも取り組み、腐敗せず長期間保存できる種麹製造に成功する。この譲吉の技術はカナダに伝わり、今日まで継承される。カナディアンウイスキーの口当たりのよさは、麹がもたらしているのかもしれない。
今回紹介するウイスキーは、クラウンローヤルノーザンハーベストライである。ライの使用比率は90%である。
ライ麦は本当に不思議な味わいを飲み手にもたらす。甘さは力強く、苦味を持ったメープルシロップのような感じだが、その後広がってくるのがバニラのような、クリームのような、軟らかい甘さである。甘いかというとそうではない。後口はスパイシーでドライだ。だが、その後口は、重層性があり、豊かなニュアンスを持っている。
この製品は、ジム・マレーのウイスキーバイブルで、2016ワールド・ウイスキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。
参考だが、カナディアンクラブ20年はもしチャンスがあればテイスティングしてほしい。カナダの歴史が極めた味わいの世界がそこにある。言い表せない感動を覚える。
(サントリースピリッツ社専任シニアスペシャリスト=ウイスキー 三鍋昌春)
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