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食の達人コラム

禁酒法が育てたカナダのシーグラム、その絶頂と消滅 世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(16)

2018/4/20

カナディアンウイスキーとシーグラムの製品

 これまで、世界の代表的なウイスキーを紹介してきたのは、それら全てのタイプの中で、現在の日本ウイスキーの形がどのように選択されたかを考えてみるためだった。今回のカナディアンウイスキー、実は日本独自の技術が製造工程の中に取り込まれている。その技術がカナダでどう展開され、独自のウイスキーの誕生につながってきたのだろうか。

 その前に、我々は世界最大のスピリッツ会社の崩壊に立ち会おう。カナダで第1次世界大戦中に施行された禁酒法でその本質を学んだサミュエル・ブロンフマンが、1920年に施行された米国禁酒法下で何を行ったか、から話を進めよう。

 1916年、地元カナダで偶然遭遇した禁酒法。第1次世界大戦参戦に伴う措置だった。この体験が役立つ時が来た。1920年、米国でも禁酒法が施行された。その3年目に彼らが行ったのが、禁酒法下のケンタッキー州の閉鎖された蒸溜所の設備取得、カナダへの移送、組み立て、再稼働である。

 ブロンフマンはここで素晴らしい決断をする。立ち上げたその蒸溜所の原酒をすぐ出荷せず、片っ端から樽熟成に回したのだ。短期貯蔵では原酒は十分に樽熟成しない。その出荷は目先のキャッシュフローは生み出すが、品質に対する評価はむしろ損なわれてしまう。

 その代わり彼が売りに売ったのは、スコッチのビッグブランドであった。当時世界最大のウイスキーメーカーであったスコットランドのディスティラーズ・カンパニー・リミテッドと輸入代理店契約を結んだのである。1927年に買収したシーグラムによりもたらされた利益がこの後の驚くべき戦略を可能にする。ブロンフマン個人も天文学的数字の資産を築く。

 1933年に禁酒法が廃止された際、ブロンフマンが取った戦略は卓抜なものだった。カナダの自社蒸溜所で長期間樽熟成した原酒を米国に輸出し、それを以前からあるアメリカンウイスキーのボトルに詰めて売り出したのである。樽熟成期間の短いウイスキーを駆逐するためであった。彼のウイスキーは市場を席巻し、当然圧倒的な売り上げを実現した。禁酒法時代14年間のブランクでご破算になった米国市場におけるウイスキー品質スタンダードの再構築を行ったのである。ため込んできた熟成の進んだ自社原酒にものを言わせた卓抜な戦略であった。シーグラムはその製品の高い品質で禁酒法時代の暗い過去と決別したのであった。

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