朝食の定番メニューの一つ、シリアル。ご飯にみそ汁、漬物が定番だった日本の朝食風景に、いかにしてこのアメリカ風の食べ物が登場し、普及していったのか……。汁気たっぷりの「ニッポンの朝ご飯」とは対照的な、このカリカリした食べ物を、かつての日本人が容易に受け入れたとは、ちょっと想像しにくい。いったいどのようにして日本の食卓に受け入れられていったのだろうか?
日本市場に本格的にシリアルが登場したのは1963年。日本ケロッグが「コーンフレーク」と「コーンフロスト」(現在の「コーンフロスティ」)、シスコ製菓(現在の日清シスコ、以下シスコ)が「シスコーン」とそれぞれトウモロコシを原料にしたコーンフレークを発売した。
そもそもシリアルは19世紀に、植物繊維の豊富な穀物などを原料に保養所の療養食として誕生している。
しかし、栄養価を高めたぜいたくな食品ということもあり、日本市場ではすぐには広がっていない。63年の発売当初もぜいたく品として見られていたという。その際、日本ケロッグ、シスコともに主たるターゲットに据えたのが子どもだった。
育ち盛りの子どもにこそ高い栄養が必要であると判断、また当時は、砂糖を加えるなど甘くして食べるのが主流で、この食べ方を子どもたちにアピールしていく。

子ども向けのマーケティングは、当時の両社のテレビCMに見て取れる。
シスコのCMに登場するのは、シスコーン坊や。子どものキャラクターだ。一方日本ケロッグは当時の子どもたちのあこがれの的、プロ野球巨人軍の長嶋茂雄選手が登場する。
そして、日本ケロッグのおまけ。現在でも多くのコレクターがいるという数多くのおまけがシリアルの購買への強い動機づけになった。
一方菓子製造が発祥のシスコは「チョコフレーク」も投入する。子どもたちの間にシリアルが受け入れられ、やがて家庭でも徐々に食べられるようになる。