超監視時代 治安維持か抑圧か、新しい機器や技術も
監視カメラ、ナンバープレート認識装置、ドライブレコーダー、カメラ付きドアホン、そして個人所有のスマートフォン(スマホ)……技術の進歩により、人々を「監視」するすべは多様化している。プライバシーはもはや過去のものなのだろうか? ナショナル ジオグラフィック2018年4月号では、新たな監視社会に移行しつつある世界の現実を取材、レポートしている。
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独裁体制に対する恐怖感が欧州を覆っていた1949年、英国の小説家ジョージ・オーウェルが『1984年』を世に出した。「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている」という陰鬱な警告が人々を震え上がらせる暗い近未来を描いた傑作だ。「ビッグ・ブラザー」とは、姿を見せない「偉大なる兄弟」で、市民を常に見張る国家権力を象徴している。監視社会の怖さを実感させる内容だったが、当時はまだ、それを実現するような技術は存在しなかった。
しかし今、インターネット上では年間2兆5000億点を超す画像が公開、保存されている。そして、一般の人たちが撮りためている未公開の写真や動画は数十億点にのぼるとみられ、私たちの個人情報はスマホやソーシャルメディアのアカウントから、いくらでも引き出せる。ドライブレコーダーやカメラ付きドアホンなど、個人の行動を監視する機器や技術も多様化。道路には自動ナンバープレート認識装置が設置され、スピード違反や駐車違反ばかりか、英国では容疑者の動きも監視している。
オーウェルが描いた抑圧的な監視社会はもはや既成の事実なのか? それとも、進行中の事態をそれほど悲観する必要はないのか?
監視先進国、英国の実情
「英国ほど監視に意欲的な国は、世界のどこにもありません」と語るのは、英国内務省の監視カメラ監督官トニー・ポーターだ。ロンドンに監視カメラ網を張りめぐらす構想が最初に浮上したのは1990年代初頭。きっかけは、アイルランド共和国軍による爆弾テロが2回連続で起きたことだった。それ以降、監視カメラは猛烈な勢いで増えていった。
ロンドンの治安インフラは金融街シティから始まり、自動ナンバープレート認識装置を幹線道路に導入することで拡大、強化されていった。現在では英国各地の道路に9000台のカメラがあり、毎日3000万~4000万台の車を撮影している。「スコットランドを車で走っていて、監視の目をかいくぐるのは至難の業です」と、スコットランド警察のテロ対策調整官を務めたアラン・バーネットは話す。
英国で監視システムが受け入れられる背景には、テロへの不安とともに、秘密情報活動を美化する心理がある。英国は秘密情報活動で救われた国だ。第2次世界大戦中にナチスの暗号を解読した伝説的なチームの本拠地ブレッチリー・パークは今では博物館となり、大勢の見学者が訪れている。政府通信本部のデビッド・オマンド元本部長は、「英国民は概して自分たちの政府は効率的で善良だと思っています」と言う。「政府による監視については、世論の反応も他国とは違うんです」
「治安のため」ならOK?
大きな政府に懐疑的な米国でも、監視体制は強化されてきている。米国の大半の警察は、体に装着する小型のウエアラブルカメラを導入しているか、導入を検討中。自動ナンバープレート認識装置も、多くの主要都市に設置済みだ。ニューヨーク市は2001年の同時多発テロ事件をきっかけに監視カメラ網を2万台規模に拡充させてきたし、シカゴ市は都心のスラムで多発する殺人事件に対処するため、3万2000台にのぼる監視カメラの設置に多額の予算をつぎ込んでいる。
オーウェルが小説で描いた未来像には、監視によるプラスの効果、たとえば市民を犯罪から守るという可能性が欠如している。2005年にロンドンの地下鉄で起きた同時多発テロや2013年にボストンマラソンの最中に起きた爆弾テロを思い出してほしい。いずれも監視カメラの映像から容疑者が特定された。それほど知られていない事件で監視装置が役立った事例は枚挙にいとまがない。
言うまでもなく、オーウェルの時代以前から、監視は「治安のため」という名目で正当化されてきた。しかし現在では、監視技術が犯罪だけでなく、より幅広い分野で大きく役立つものになっている。人工衛星がとらえた画像を手掛かりに、援助組織がイラクの砂漠で野宿している難民たちを発見したのもその一例。衛星画像はまた、地球規模で気候が急変していることを示す証拠にもなる。
英国政府から任命され、第三者の立場でテロ対策関連法を検証してきた法廷弁護士のデビッド・アンダーソンは、「強力な監視技術が使われるなら、政府はそれと同程度に強力な安全策を講じる必要がある」という立場を取る。「英国のような成熟した民主社会なら、優れた安全策を講じて、弊害よりも便益が勝るような利用ができるはずです」
一方で、規制が不十分なまま、民間企業が監視技術をどんどん導入する動きには危うさもある。デジタル時代の人権擁護に詳しいジャミール・ジャファーはこう警告する。「個人の生活が絶えず記録され、追跡されるようになっています。私たちはその問題に取り組み始めたばかりです。新しい技術を採用する前に、あるいは新しい監視の形態が社会に入り込む前に、長期的な影響を考える必要があります」
(文 ロバート・ドレイパー、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2018年4月号の記事を再構成]
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