ルガンスキーはラフマニノフの再来? 圧巻の前奏曲集
クラシックディスク・今月の3点
ニコライ・ルガンスキー(ピアノ)
1972年モスクワ生まれのピアニスト、ニコライ・ルガンスキーと初めて話したのは2004年だが、今も記憶に残っている。父が物理学者、母が化学者の理系頭脳を受け継いだのか、クールで知的な雰囲気が漂い「英語より得意だから、ドイツ語で取材してほしい」と言われて驚いた。94年のチャイコフスキー国際音楽コンクールで最高位(1位なしの2位)を射止めながら、一気にスター街道へは進まず、玄人筋だけが高く評価する不思議なキャリアの一端を垣間見た気がした。以後の記事で何度か引用したが、「偉大な音楽は一切の言葉を超え、形而上の世界へと一気に到達するものだ」と言い切る32歳(当時)の青年に強い印象を受け、ブレークを確信した。
ワーナー系列の「エラート」から仏ナイーブ、ハルモニア・ムンディと複数のレーベルを渡り歩きながら、ルガンスキーが一貫して究めてきた作曲家が、ロシア人ピアニストの大先輩でもあるセルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943年)だ。ピアノ独奏と管弦楽のためのすべての作品、2曲のソナタなどを次々に手がけ、ヴィルトゥオーゾ(名手)としての評価を高めてきた。最新盤の「前奏曲全集」は作品3の第2番、作品23の全10曲、作品32の全13曲の計24曲を1枚に収録。作品3と23は約17年ぶりの再録音に当たる。
何よりまず、スタインウェー製フルコンサートグランドピアノのDモデルを隅々まで鳴らし、ほれぼれする音色美を堪能させてくれるのがいい。スヴャトスラフ・リヒテルの名盤を聴いて以来の感激かもしれない。ある若いピアニストが何曲かを耳をつんざくように乱暴な打鍵、濁った音色で平然と弾き続ける「惨事」を体験した直後だけに、耳洗われる思いがした。完成度の高さが「冷たい」「近寄りがたい」と批判されもしたルガンスキーだが、ここでは熱く、大きな音楽の流れが噴出している。「旋律が聴く者の心に直接届く『美の天才』」とラフマニノフに最大級の敬意を抱き続け、本質だけをひたすら見つめてきた知性派ピアニストの偉大な円熟だ。(ハルモニア・ムンディ=日本輸入元はキングインターナショナル)
ゴーティエ・カピュソン(チェロ)
ダグラス・ボイド指揮パリ室内管弦楽団
ジェローム・デュクロ(ピアノ)ほか
日本盤のタイトルは楽曲重視だが、オリジナルの「INTUITION(イントゥイション=直感)」は、演奏者の意図に忠実だ。先ごろも日本公演を行ったフランス人ヴァイオリニスト、ルノー・カピュソンの実弟であるゴーティエは1981年生まれ。10代で頭角を現し、兄にひけをとらないトップクラスのキャリアを歩んできた。演奏姿は「情熱的」の域を越え、取りつかれたようにチェロを奏で、誰もが未踏の領域まで表現を突き詰めていく。イントゥイションの解説書は、ゴーティエの巻頭言で始まる。
「もう何年も前から、我が人生の相棒であり、我が楽旅の様々な段階をともに歩いたチェロを掘り下げるアルバムを作りたいと思っていた」
「皆様にはこの『イントゥイション』の旅にご同行いただき、僕個人に意味深いこれらの楽曲を通してチェロの音風景を発見していただければと願う」
2枚組のCDはマスネの「タイスの瞑想曲」で始まり、サンサーンスの「白鳥」、エルガーの「愛の挨拶」、ポッパーの「妖精の踊り」、カタルーニャ民謡「鳥の歌」、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、フォーレの「夢のあとに」を経て、ピアソラの「ル・グラン・タンゴ」に至るチェロ音楽の旅。デュクロの「アンコール」、ソッリマの「チェロよ、歌え!」といった同時代の作品も含まれる。ゴーティエのテンションは一貫して高く、多彩な音色とたっぷりとした歌心で最初から最後まで、一気に聴かせてしまう。チェロの上手な人は少なからずいるが、これほどのプロデュース能力を発揮できるのは、ごく一握りだ。(ワーナー)
フアン・ディエゴ・フローレス(テノール)
リッカルド・ミナーシ指揮チューリヒ歌劇場ラ・シンティッラ管弦楽団
1996年にロッシーニの生地ペーザロの音楽祭でセンセーショナルにデビュー、2001年にユニバーサルの「デッカ」レーベルと契約して以来、数多くのオペラ全曲盤やアリア集などをリリースしてきたテノール歌手、フアン・ディエゴ・フローレス。ロッシーニとベッリーニ、ドニゼッティが代表するベルカントオペラのスペシャリストと目されてきた。17年にソニー・クラシカルへ移籍し、最初の録音がモーツァルトというのは意表を突く。アルバムは同時に、ソニーが契約した若手、中堅の歌手を網羅した「21世紀モーツァルト歌唱の諸相」シリーズの第1作でもある。
フローレスは73年、リマの生まれ。「同じ南米であってもアルゼンチンやメキシコと違い、ペルーにオペラの伝統はない」と語る。ギターの弾き語りが得意で美声を認められ、15歳でピアノ・バーの専属ポピュラー歌手になった。16歳でヴェルディの歌劇「リゴレット」のアリア、「あれか、これか」をたまたま耳にしてオペラに目覚め、リマの音楽学校から米フィラデルフィアのカーティス音楽院へと進んだ。モーツァルトとの出会いは18歳。「魔笛」を聴き「モーツァルトのとりこになった」と振り返る。
CDの解説には、ドイツの音楽評論家でレコード雑誌「フォノフォルム」の編集長、ビヨルン・ヴォルとのインタビューが載っている。早くからモーツァルトに熱意を持ちながら「なぜこれまで録音してこなかったのか」との問いに対し、フローレスは「ようやく時機が来ました。今なら、彼のフレージングの魅力を表現できます」と応じる。「モーツァルトの音楽には、高音やコロラトゥーラ(装飾音)などの派手な見せ場はあまりありません。シンプルな旋律の美しさで、聞く人を魅了するのです。そのため、フレージングが極めて重要になってきます」と、自身の作品観を明快に語っている。
それにしても見事な歌唱の連続だ。「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」などイタリア語の作品はもちろんのこと、「魔笛」「後宮からの誘拐」に聴くドイツ語の発音の明瞭さと美しさも、長年ドイツ語圏の歌劇場で歌い込んできたスペシャリストと錯覚するほどだ。ラ・シンティッラはチューリヒ歌劇場のピリオド(作曲当時の仕様の)楽器部門。指揮のミナーシもイタリアのピリオド楽器アンサンブル「イル・ジャルディーノ・アルモニコ」のヴァイオリン奏者出身で今はモーツァルトの生地、ザルツブルクでモーツァルテウム管弦楽団の首席指揮者を務める。ただし音は半音低いピリオド流ではなく現代の高いピッチのままとし、フローレスの高音を際立たせる配慮にも事欠かない。(ソニー)
(NIKKEI STYLE編集部 池田卓夫)
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