巨大どら焼き、なぜ誕生? 小さなチロルチョコと同郷
3月12日、東京秋葉原にチロルチョコのアンテナショップがオープンした。事前の告知がなかったにもかかわらず、開店前には行列ができ、連日多くのファンでにぎわっている。
今やコンビニの定番商品となったチロルチョコだが、実は福岡県田川市、炭鉱で知られる福岡県中央部、筑豊地方で誕生したことをご存じだろうか。筑豊はチロルチョコの他にも、飯塚市発祥の名菓ひよ子や同じく飯塚発祥のチロリアンなど、様々なスイーツを生み出した地域として知られる。さらに直方には、何とLPレコード大の巨大などら焼きもあり、地元の名物として愛されているという。
なぜ、筑豊にはスイーツが多いのか? それには、筑豊の地理とかつての基幹産業だった炭鉱とが大きく影響している。
日本の近代化の過程で、筑豊の炭鉱とその石炭を使った八幡の製鉄が大きな役割を果たしたことは、前回の「田川ホルモン鍋、焼かない鉄板焼き 炭鉱の歴史を映す」でも紹介した。
実は「筑豊」という呼び名が誕生したのもこの時で、遠賀川流域にいくつも炭鉱が発見された後、ちょうどその一帯が筑前国と豊前国の境目だったことから、双方の1文字ずつを取って「筑豊」という地域名が付けられた。
その筑豊を横断しているのが長崎街道だ。長崎街道は「シュガーロード」とも言われ、砂糖が非常に貴重だった明治以前には、長崎港から日本に入ってきた砂糖が、この道を経て京都まで運ばれていた。そのため、長崎のカステラをはじめ、佐賀の小城羊羹など、長崎街道の道筋には多くの名の知れたスイーツが誕生している。
そんな長崎街道筋でも、特に炭鉱が主産業だった筑豊で多くのスイーツが誕生した。炭鉱での仕事は過酷で、前回紹介した田川ホルモン鍋など、独自のスタミナ食が誕生していることが背景だ。
糖分は即効性の高いエネルギー源でもある。試合時間の長いゴルフなどでは、選手が試合中にチョコレートやバナナなどを食べたりする。血糖値を維持することで、最後までパフォーマンスの高いプレーを保つためだ。カーリングの「おやつ」も話題になった。炭鉱で働く人たちも同様で、坑内に甘い物を持ち込み、疲れを癒やしたという。
甘い物を好んだのは炭鉱の中で働く人だけではなかった。炭鉱のオーナーたちもスイーツに注目する。ドラマ『花子とアン』『あさが来た』でも話題になったが、炭鉱の隆盛は、そのオーナーたちに大きな富をもたらした。炭鉱王たちは、巨大な屋敷を築き、そこに客を招いては連日盛大な宴席を催した。そうした席にもスイーツは付きものだった。
自らの財力を見せつけるかのように、菓子はどんどん巨大化していったという。その代表格とも言えるのが、冒頭でも紹介した巨大どら焼き、直方市の成金饅頭だ。
成金饅頭は、2枚の丸く焼いた生地で白あんをはさんだもの。老舗「大石本家」の迎神児さんに、炭鉱華やかなりしころのお話をうかがう。
まだ若かったころ炭鉱王のお屋敷に成金饅頭を配達すると過分なお駄賃をもらえたという。とともに「店のまんじゅう、残らず全部もってこい」などという注文もあったという。
こうした炭鉱王たちの見えが、成金饅頭を競うように巨大化させていった。宴席に大きな成金饅頭を持ち込み、客たちにふるまう。ねじり梅に代わり、自前の焼き印を作りまんじゅうに押させたとも言う。
こうして誕生した巨大スイーツは、地元の人たちも受け入れるようになる。
田川市には黒ダイヤというようかんがある。黒ダイヤとは、炭鉱が盛んだったころの石炭の別名だ。普通は棒状に仕上げるようかんを、石炭よろしく塊にして作る。この黒ダイヤにも大きなサイズがある。小サイズでさえ、ひとりでは食べきれないような大きさ、甘さで、それをさらに大きくするのだからいったい誰が食べるのだろうと不思議に思うほどだ。
石油が主役に替わるエネルギー革命が起き、炭鉱で汗にまみれて働く人たちも、夜ごとぜいを競う宴会を繰り広げた炭鉱王たちもいなくなっても、この巨大スイーツはなくならなかった。「寿」の焼き印を付けて、婚礼などの引き出物に縁起物として、今でも大きな成金饅頭が重宝されている。中には、結婚式で大きな成金饅頭に入刀するカップルもいるという。
大石本家で現在作ることができる最大の成金饅頭を作っていただいた。事前予約が必要だが、直径29センチ。LPレコード大だ。最盛期は、この倍の大きさまで手がけていたと言う。
成金饅頭や黒ダイヤなど筑豊らしさを色濃く残し、根付いたものは、やはり地元に行かないことには手に入れにくい。一方で、筑豊の地で誕生し、東京に、全国へと育っていったスイーツもある。
例えば「名菓ひよ子」。大正元(1912)年に、弱冠14歳の吉野堂2代目石坂茂が考案した。「大人たちの心や体を癒し、健康に保つもの、子どもには成長に必要な栄養と、おもちゃを手にした喜びを」という発想で、夢に見たひよこをヒントに木型を作ったという。これが、地元・福岡藩の学者・貝原益軒の「養生訓」、さらには福岡藩が養鶏を奨励していたことと重なり、ひよ子は地元を代表する名菓に育っていく。
しかし、考案者・茂の夢は、地元の名菓にはとどまらなかった。東京への進出への足がかりとして本拠を福岡に移すことになる。今では、ひよ子が「東京名菓」として扱われるようにまでなった。地元福岡の人が、東京土産にひよ子をもらうという笑えない話すらあるほどだ。
チロルチョコレートも筑豊から全国ブランドになったスイーツだ。明治36(1903)年に、田川での甘い物への強い需要を意識して、まんじゅう屋として創業。チョコレートへの進出は、昭和37(1962)年だ。
本格的な東京進出は、平成16(2004)年にメーカーの松尾製菓から企画・販売部門を独立させて、チロルチョコ株式会社を設立したことがきっかけだ。コンビニへの本格展開もこの後で、全国展開してわずか10余年とは思えないほど、今では広くその名を知られるようになった。
ちなみに、チロルチョコの製造部門である松尾製菓本社前には、コンビニに隣接した小さなショップがある。工場で出たアウトレット品を格安で販売するためのショップだ。ここは連日、入店待ちの行列ができることで知られている。県外はもちろん、九州外からやってくる人も多い。
今回、この店で扱うアウトレット品が東京のショップにも登場した。他にも地域限定品や小売店とコラボした限定商品など、東京のショップの取扱商品は一般には手に入りにくいものも多い。グッズやチロルチョコのカレーもある。その点でも、注目度は大きい。
福岡県というと、博多や北九州が注目されがちだが、実は筑豊も観光要素は少なくない。炭鉱時代の遺構にも見るべきものが多い。スイーツもその一つだ。甘い物が好きな人なら、多種多様なスイーツを食べ歩くのもいいだろう。今回紹介したように、地域の歴史を映した菓子も多い。なぜこの味にたどり着いたか、この形になったのか、そんなことを思いながら巡れば、よりいっそう旅の思い出が深くなるに違いない。
(渡辺智哉)
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