新潟・三条が挑む「国産そり」 パラアイスホッケーに平昌デビュー目指すも果たせず、次の照準は4年後の北京大会

自作のスレッジとブレードホルダーを手にする田辺プレスの田辺専務(右、新潟県三条市で)
自作のスレッジとブレードホルダーを手にする田辺プレスの田辺専務(右、新潟県三条市で)

「下町ボブスレー」に続き、「雪町スレッジ(そり)」もデビューならず――。モノ作りにたけた新潟県三条市の中小企業が製作し、平昌パラリンピックに出場する日本のパラアイスホッケー選手に提供したそり。雪深い地域の挑戦と話題になったが、本番で結局そりは使われなかった。それでも携わった関係者は「今後も作り続けたい」と意欲を燃やしている。

須藤選手(左)から要望を聞いて開発したが、平昌パラでのデビューはならなかった(韓国・江陵での韓国戦)

このプロジェクトは2年前、スポーツによる地域振興をはかる団体から、国定勇人・三条市長がパラスポーツの道具を国産で作れないか、という話を聞いたのがきっかけだ。中でもパラアイスホッケーは競技人口が少なく、選手はカナダ製そりを使っていた。だが輸入物で修理に時間がかかり、選手が自己流で直すことも多い。

そこで三条市の職員が競技団体を訪ね、国産スレッジのニーズがあることを確認。中小企業の技術を製品に生かして産業の活性化をはかる、同市のコンソーシアムに参加していた田辺プレスなど3社に声をかけた。16年11月に日本代表主将の須藤悟選手(日本協会)に会って要望を聞き、須藤選手向けのそり作りに乗り出した。

軽くて強いマグネシウム合金の加工が得意な同社の田辺和夫専務は「我々のコンセプトで作ってみよう」と試作した1号機を17年2月に須藤選手に見せたが、「20カ所以上ダメだしをくらった」。2号機、3号機と改良を重ねたものの、カナダ製に慣れた須藤選手のOKはなかなか出ない。

須藤選手も「ここまでしてもらったので何とか使いたかったが。もう少し時間があればいいものができたと思う」。本番が迫る中、自らの滑りが変わってしまうことや、用具の検査を通らない可能性があったことから三条製そりは平昌に持ち込まなかった。

ただ別に作ってもらっていた、そりの下でスケートの刃を固定するジュラルミン製ホルダーと、スティックの先につけて氷をかくステンレス製ピックは無事平昌デビュー。これまでの全4試合で使った。「急停止してもスケートの刃がぶれない」(田辺さん)ようにしたホルダーは須藤選手も評価する。

田辺さんは現地も訪れ、3月10日の日韓戦を観戦。「ピックとホルダーは一つの成果。使っていただけて非常に良かった」。日本のパラアイスホッケーは選手の高齢化が進み、消滅の危機にあると聞いたがゆえ、「競技の普及をするには国産があった方がいい。道具をちゃんと作っているところを見せたい」と田辺さん。4年後の北京大会で今度こそ、「雪町スレッジ」のデビューを夢見ている。

(摂待卓)

[日本経済新聞夕刊2018年3月16日付を再構成]

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