田川ホルモン鍋、焼かない鉄板焼き 炭鉱の歴史を映す
脂のたっぷりと付いたホルモンを大量の野菜とともに煮込む。酒のつまみに、ご飯のともに……。福岡県田川市のホルモン鍋は鉄板で調理する個性的なホルモン鍋だ。
福岡県のホルモン鍋というと、博多風のもつ鍋が広く知られている。土鍋に張ったスープでもつや野菜を煮込む調理法は、今や全国区と言っていい人気料理だ。これに対し、田川ホルモン鍋は鉄板を使って作るホルモン鍋だ。
筑豊に位置する田川市は、かつて炭鉱で栄えた町。この一風変わったホルモン鍋にも実は炭鉱の歴史が映されている。
近代日本の工業化を語る際に、炭鉱と製鉄所の歴史は外せないエピソードだろう。筑豊のカロリーの高い、より高温で燃焼する石炭が、八幡の製鉄を支えた。遠賀川沿いに広がる各地の炭鉱は増産を続け、多くの労働者が炭鉱町に集まるようになる。
外から人がたくさんやってくれば、食にも大きな影響が出て来る。しかも高温多湿の厳しい環境で働く人たちが多いとなれば、農耕で暮らしていた時代とは食べる物も変わって当然だ。
ホルモンは朝鮮半島出身の人たちがもたらした食文化という。安くて栄養価が高いだけに、ホルモン鍋は炭鉱で働く多くの人たちに広がっていくことになる。
田川ホルモン鍋は「鍋」という文字が付いているものの、鉄板焼きの延長線上にある料理だ。なので、食べるのも基本は焼肉店。中央部が微妙にくぼんだ個性的な鉄板で調理する。
鉄板は厚く、非常に重たい。しっかり熱を蓄えてくれるものだ。鉄板が十分に温まったら、そこに焼き肉のたれに漬け込んだ牛ホルモンをたれごと投入する。じゅわっと大きな音とともに盛大に煙が上がる。この時点での見た目は間違いなく鉄板焼きだ。
しかしホルモンの上に大量の野菜が盛られるとちょっと様相が変わってくる。タマネギやキャベツ、モヤシ、ニラなどといった野菜が豆腐とともに、これでもかと鉄板に盛られ、ホルモンを覆い尽くす。
しばらくそのまま野菜がしんなりするのを待っていると、やがて鉄板のくぼみのたれが、野菜から出た水分で少しずつ増えていくのだ。野菜に十分に火が通るころになると、見た目は「鍋料理」に変わってくる。ひたひたの「つゆ」の中で、ホルモンと野菜とが煮込まれていくのだ。
ベースになるホルモンは小腸。切り開かずに裏返してぶつ切りにすると、まわりにたっぷりの脂をまとう。この脂が炭鉱で働く人たちのスタミナ源にもなっていた。ハチノス(第2胃)やセンマイ(第3胃)やレバー(肝臓)なども入る。焼肉店で食べるので、好きな部位があれば、それを追加注文して入れればいい。
ホルモンも野菜もしっかり煮えたら、後は食べるだけだ。辛味を加えて食べるとより食べやすくなる。脂のぷるぷるは禁断の美味だ。ねっとりとした食感と独特の甘さが味わえる。いかにも脂っこそうだが、大量の野菜と一緒に食べると不思議と気にならない。
保温性の高い専用鍋は、常にホルモン鍋を熱々にする。口の中の「防火装置」のサイレンが鳴ったら、冷たいビールで消火活動だ。そして、ホルモンを飲み込んだ後には、口の中に残った脂をさらにビールで洗い流す。酒が進んで仕方がない。
シメは麺だ。うどんかちゃんぽん麺が地元では人気が高いという。福岡のうどんは、讃岐とは対極にある「弱腰」。歯を当てるといつのまにか麺が切れてしまうようなコシの弱い麺だ。これに、溶けた脂でねっとりした残り汁が絡むと独特の味わいになる。
麺を食べるころにはたれもすっかり少なくなり、最後は煮いためのような状態で麺を味付ける。いにしえの田川の人々は、こんなボリューム満点のホルモン鍋を食べて、炭鉱での疲れを癒やしていたに違いない。
炭鉱の歴史を映しているのはホルモン鍋だけではない。ほかにも炭鉱町の暮らしがうかがえるメニューが今も田川に残っている。
例えば魚の塩蔵品。田川は、山に囲まれた地域。海からは距離があり、コールドチェーンが発達する以前は鮮魚がとても高価だった。その代わりに塩漬けにして保存性を高めた魚がよく食べられていたという。
例えば塩クジラ。非常に塩辛く、これをあぶって塩を噴かせてちぎって食べる。弁当のおかずにもなったという。高温多湿の環境で働く炭鉱の仕事は大量に汗をかく。となれば塩分補給は非常に重要だ。この塩クジラは、単に海から遠かったというだけでなく、塩分補給の意味でも重要な役割を担っていたという。
サバを塩漬けにした塩サバも同様だ。
では、田川の人たちは鮮魚を食べなかったのかというと、そうでもないらしい。その背景にあるのが「川筋気質」。筑豊の炭鉱は遠賀川沿いに広がっており、かつては採掘した石炭の輸送にも川の水運が利用されていた。
常に危険と背中合わせの環境で働く炭鉱の人々は気が短く、頑固で、見えっ張りな人が多かったという。そういう人たちは地元では「川筋者」と呼ばれた。
体が資本なだけに食べる物には金を惜しまなかったと言い、また、事故も多く「明日は我が身」の暮らしから「食べられるときに食べる」「宵越しの金は持たない」気質もあったという。なので、食べるときにはいいものを食べた。
田川は山間部にもかかわらず、現在でも市内に魚市場があり、新鮮な魚介には事欠かないという。そんな「川筋気質」の名残が、寿司店などに残っている。
現在では炭鉱も閉山し、にぎわった田川の町もやや寂しくなってしまっている。しかし、炭鉱の歴史は、この町に大きな財産を残した。田川は民謡「炭坑節」発祥の地と言われている。炭鉱坑口跡に作られた石炭記念公園には炭坑節発祥の碑が建てられている。
公園内には田川市石炭・歴史博物館もある。炭鉱の歴史を物語る貴重な資料とともに、日本初の世界記憶遺産となった山本作兵衛氏の炭坑記録画・記録文書等も保管・展示されている。庶民の目で分かりやすく炭鉱の労働、暮らしを描いたその作品群は、一度は目を通しておきたい貴重なものだ。
そして田川ホルモン鍋をはじめとする地元の食も、また炭鉱の歴史を伝える貴重な財産だ。今では、野菜がたくさん食べられ、コラーゲンなど栄養素も多く含まれることから、若い女性にも人気が高いとか。いつまでも食べ継いでほしい、食べ継いでいきたい料理だ。
(渡辺智哉)
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