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パラリンピックの報道、障害より「競技」に目向けて マセソン美季さんのパラフレーズ

2018/3/9 日本経済新聞 朝刊

マセソン美季さん

 「#パラリンピックの皆さんへバトンタッチ」。平昌五輪のスピードスケート女子500メートルで、金メダルを獲得した小平奈緒選手のツイッターだ。オリンピアンがパラリンピアンを意識してコメントしてくれるようになったのは、いつからだろう?

 長野で冬季パラリンピックが開催されたのは、20年も前。私も出場、初めて五輪選手と同じユニホームを着ることが許された大会だったが、まだまだパラリンピックの知名度は低く、福祉の延長線上と捉えられることも多かった。メダルを獲得しても、掲載される写真は日の丸を持っている姿や、観客に向かって手を振っている笑顔の写真ばかり。マイナーな競技を普及させるためにも「競技中の姿を掲載してくれればいいのに」と思ったこともあった。

 お隣の中国では企業が広告を出す時に、障害がある部分を写してはいけないと法律で決まっているそうだ。パラリンピック出場を目指す選手たちでさえ例外ではないため、世界の偉大なアスリートを紹介する番組に、中国の選手を登場させるのは難しいと、日本のテレビ局の担当者から聞いた。

 長野大会当時の日本では、もちろん法律による規制こそなかったものの、カメラマンに「車いすを写してもいいですか」「障害のある部分の写った写真が掲載されても問題ないでしょうか」と聞かれることはあった。

 社会部の記者がほとんどだった記者会見も、今では運動部所属の人が大半を占めている。発信される内容も、ヒューマンストーリーから、勝因分析や技術論が展開される内容に変化した。2000年シドニー大会の女子車いすマラソン後の記者会見で、優勝した米のジーン・ドリスコル選手が記者団に対し、「質の高い質問をしてくれてありがとう。報道のされ方次第で私たちのスポーツの環境もかなり変化します」と言っていたのを思い出す。

 長野大会を障害者スポーツの報道元年と称する人がいるが、人間なら成人を迎える20年後の18年3月9日から、平昌パラリンピックが始まる。選手の活躍だけでなく、報道がどう成長、変化したかにも注目したい。

マセソン美季
 1973年生まれ。大学1年時に交通事故で車いす生活に。98年長野パラリンピックのアイススレッジ・スピードレースで金メダル3個、銀メダル1個を獲得。カナダのアイススレッジホッケー選手と結婚し、カナダ在住。2016年から日本財団パラリンピックサポートセンター勤務。

[日本経済新聞朝刊2018年3月8日付]

マセソン美季さんのコラム「マセソン美季さんのパラフレーズ」をまとめてお読みになりたい方はこちらへどうぞ。

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