著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の須賀健太さんだ。
――芸能活動20年。デビューは4歳でしたね。
「テレビで戦隊ヒーローを見て『僕もヒーローになりたい』と親に言ったのがきっかけです。思い出づくりのような感覚で子役に応募したそうです」
「初めてテレビに出た瞬間は今でも覚えています。NHKの連続テレビ小説『すずらん』にエキストラで3秒だけ。オンエアは家族でテレビを囲んで『映った映った』と盛り上がりました。テレビに出たことより、親が喜んでくれたのがうれしかったです」
「6年生までは両親が交代で撮影現場に送り迎え。お母さんは僕が台本を読めるようにテープライターでセリフをひらがなに打ち直して貼っていました。朝から晩まで撮影してまたセリフを覚える生活。僕は苦じゃなかったけれど、お母さんは大変だったと思います」
――子役時代から支えた両親はどんな人ですか。
「お母さんは心配性で、あいさつや返事など礼儀に厳しい人。うるさいと思ったこともありますが、人としての基本を教わりました。『学校は遅刻でも早退でも行きなさい』と言われ、宿題やテストができないと怒られました。普通の子の感覚を忘れずにいられたのは親のおかげです」
「成人式で僕がスーツを着て出かける際、お母さんが玄関で見送りました。妹から『あの後、お母さん泣いていたよ』とメールで知らされました。20年間心配をかけたと感謝の思いがこみ上げました」
「お父さんは口数は多くないけれど、たまにギャグを言う面白い人。僕が20歳を過ぎたので一緒に酒を飲みに行こうと話しているのですが、ちょっと恥ずかしくてまだ実現していません」
――子役の後も俳優を続けると決意したきっかけは。
「主演した『花田少年史』という映画で12歳の時に日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞したことです。授賞式の出席者は有名俳優ばかり。それまでは家族や友人に作品を見てもらえるだけでうれしかったけれど、自分もずっとこの場所に立ち続けたいと思うようになりました」
「ただ、高校時代は仕事が減り、就職も考えて嫌いな勉強を頑張りました。このときは成績がよかったので親が優しかったです。結局、俳優以上に楽しい仕事は他にないと思い、つらくても続けていこうと決めました」
――両親の反応は。
「何気なく『アルバイトしながら小さい劇場でもいいから芝居をやっていきたい』と話すと、『やれば?』と軽く返されました。本当はすごく心配していると思います。映画も舞台も毎回見に来て応援してくれます。いつか恩返しに家か車を贈りたい。でもまだ難しいので、いろんな作品に出ることで俳優として両親を楽しませたいと思います」
[日本経済新聞夕刊2018年3月6日付]