アーサー、プレスター・ジョン、女教皇 謎の英雄3選科学で迫る世界のミステリー

日経ナショナル ジオグラフィック社

書簡のことを知った教皇アレクサンデル3世は真剣に返書をしたためたが、プレスター・ジョンからの返事はなかった。それ以来、数百年もの間、謎のキリスト教の君主プレスター・ジョンを探そうと、アフリカやアジアへの探検が相次いだ。修道士のプラノ・カルピニは、苦難の旅の末、モンゴルの支配者グユク・ハーンにたどり着いたが、残念なことにプレスター・ジョンでもキリスト教徒でもないことが判明した。マルコ・ポーロも、旅をしている間、プレスター・ジョンを探している。ポルトガルの探検家バルトロメウ・ディアスやバスコ・ダ・ガマもプレスター・ジョンを見つけることはできなかったが、結果的にインドへの航路の開拓につながった。

やがてあきらめムードが漂って探索は下火になり、プレスター・ジョンは架空の人物ということに落ち着いていった。現代の歴史学者は総じて、1165年の書簡は中世の大胆な悪ふざけだったと考えている。

ちなみに、プレスター・ジョンはシェイクスピアの喜劇『空騒ぎ』のベネディックのセリフにも登場する。「アジアの最果てに行って、爪楊枝を取ってきます。それともプレスター・ジョンの足のサイズでも測ってきましょうか。(中略)この性悪女と少しでも話をするくらいなら、そのほうがましでございます」

伝説の女教皇ヨハンナ

女性の教皇がいたという話が持ち上がったのは、13世紀のことだ。噂は瞬く間に事実として受け入れられた。当時の年代記編者によると、855年に教皇レオ4世が逝去した後、立派な男性として評判の高かったマインツのヨハネが教皇の地位を継いだ。教皇になってから2年がたったある日、ヨハネはローマでの行列の最中、痛みに襲われて気を失う。そしてなんと息子を出産し、死亡したというのだ。教皇ヨハネは、実は女教皇ヨハンナだったとされた。

出産する女教皇ヨハンナ(ジョヴァンニ・ボッカチオが14世紀に書いた『名婦列伝(De Mulieribus Claris)』の挿絵)

何世紀もの間、人々は女教皇がいたことを史実だと信じてきた。シエナ大聖堂の歴代教皇の胸像の中に、彼女の像があったし、ルネサンス時代の歴史家は、女教皇に関する記述を残している。ローマ教皇の行列は、ヨハンナが出産したとされる場所を避けて通ったという。また、カトリック教会を批判するプロテスタントは、何かにつけてこの話を蒸し返したがった。

だが時の流れとともに、学識者たちの意見は変わる。実際に855年に教皇レオ4世の跡を継いだのはベネディクト3世であると指摘したのだ。現代の文書には女性の教皇への言及はなく、女教皇が実在した可能性は非常に低いといえる。

それでも、高い教養がありながら、身ごもって命を落とした女教皇ヨハンナの数奇な生涯は、舞台や小説、映画によって21世紀にも伝えられている。

[書籍『今の科学でここまでわかった 世界の謎99』を再構成]

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