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今、バーボンウイスキーの黄金時代 二度の逆境を克服世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(14)

ケンタッキー州は水が豊か=PIXTA

ケンタッキーにはウイスキーづくりに必須の三つの原料が理想的にそろっていた。とうもろこし、水、樽材である。とうもろこしの収穫量は東部植民地に比較して、4倍多かった。石灰岩層を通って湧き出てくる水は、馬の飼育だけでなく、発酵にも最適だった。いくらでも樽材を伐り出せるホワイトオークの豊かな森が広がっていた。それに加えて水運である。オハイオ川はミシシッピ川につながっており、河口の貿易港ニューオーリンズまでの水運も可能であった。

ほどなく東部諸州を押さえ、ケンタッキーは全米一のウイスキー生産地になる。ではなぜこのケンタッキーでつくられるようになったウイスキーをバーボンと呼ぶようになったのだろうか?

ケンタッキーはもともとフランスの植民地ルイジアナの一部だった。1763年に当時英国領であったバージニア植民地に編入される。独立戦争を経て、先にも書いた1792年に州として独立する。アメリカ政府は、独立戦争でのフランスからの厚い支援への感謝を表すため、1785年にバージニアの西部、アパラチア山脈に隔てられた広大な地域をルイ16世のブルボン家に因み、バーボン郡、郡都はパリと名付けた。バーボン郡はその後34郡に分割され、縮小した現在のバーボン郡にはバーボンの名前を生んだウイスキー蒸溜所は残っていない。しかし、アメリカは国酒の名前によってアメリカ独立へのフランスの貢献を永遠に記憶することにした。

アメリカ独立を阻止できなかった英国であったが、その後フランス、スペインとの覇権競争に勝利し、世界最大・最強の国に上り詰める。一方、フランスはナポレオンの登場はあったものの、競争に敗れ、往時の国力を回復することはついになかった。そのフランスの世界第2位のスピリッツ会社、ペルノー・リカールが保有していたバーボン蒸溜所をイタリアの会社に売却したのはつい数年前である。それより少し前、世界最大のバーボン会社ジムビームは、日本籍の会社に買収された。

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