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それでも親子

俳優・モロ師岡さん 「お互い職人」父の言葉が力に

2018/3/2

1959年千葉県生まれ。専修大卒。名脇役としてテレビドラマから映画まで幅広く活躍する。3月14~21日、東京・新宿のサンモールスタジオで舞台「私に会いに来て」に出演。59歳

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優・コメディアンのモロ師岡さんだ。

――両親は亡くなったそうですね。

「父は12年前の84歳のときに食道がんで亡くなり、母は2年前に老衰で旅立ちました。94歳でした。父の最期は私の故郷、千葉県八街市の病院。その時、私は映画のロケで千葉の鋸山にいました。午前3時近くの臨終に立ち会えなかったのが残念です」

「父は戦後、八街に引き揚げてきて農業に精を出しました。地域の広大な林を開墾してピーナツや野菜を栽培。畑をどんどん広げていきました。とにかく土にまみれて生きた人でした。今は長兄が継いでいます」

――モロさんは男ばかりの3人兄弟の3番目だとか。

「父はよく言えば私の自主性を尊重してくれた。まあ、好き勝手に生きろということです。夜のだんらんでは冗談を言うなど、子ども3人とコミュニケーションを取ろうと気配りの人でもありました」

「そんな父ですが、私は小学生の時、うとましかった。仕事にひたむきな父は身なりがいまひとつです。作業ズボンは擦れて破れたところが目立つ。私の友達が父の格好をヒントに、私に『ボロ』というあだ名を付けました。嫌でした。反抗して父が吸うたばこをちぎって捨てたこともあります。今思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです」

――今では映画やテレビで大活躍です。

「大学に5年在籍し、卒業後は何とストリップ劇場でコント修業。家にもほとんど帰らず心配をかけっぱなしでしたが、父は我慢していたそうです。いつか大成すると信頼してくれていたのです」

「私は28歳の時、テレビの演芸番組に出ました。全国デビューです。放映時間が近づくと畑から飛んで帰って私のコントを見て喜んだそうです。1996年に有名な映画大賞の助演男優賞をいただいた際、賞金の一部を父にプレゼントしたのですが、近所中に報告したと兄から聞きました。そんな話を聞くと、親には心配をかけてはいけないと誓ったものです」

――土いじりとは違う世界を尊重してくれたのですね。

「私はコントも芝居も農業と同様、ものづくりだと思っています。笑いや感動という目には見えないものを作って観客に提供するのです。そのために努力は欠かせない。起きているときはいつも頭の中でネタや演じ方を考えています。父は農業が好きでした。私も今の仕事が大好き。お互い好きなことをやって定年がありません。幸せです」

「父が生きているときの話です。もういつかは忘れましたが、家族みんなが八街の家に集まって夜遅くなった頃、父は私にしんみりとこう言いました。『お互い職人みたいなもんだな』。最高の褒め言葉だと思いました。この言葉が私の仕事のモチベーションになっています」

[日本経済新聞夕刊2018年2月27日付]

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