チェルノブイリの記憶 汚染区域に侵入する若者たち

日経ナショナル ジオグラフィック社

1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所においていくつものミスが重なった結果、史上最悪の原発事故が引き起こされた。4号炉の爆発によって放出された放射性ダストの雲により、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの広範囲に汚染が広がった。避難を余儀なくさせられた人の数は10万人近く。人的被害のみならず、政治的、経済的な影響も甚大かつ永続的なものとなった。

そんなチェルノブイリの記憶に触発されて、新たなサブカルチャーが生まれた。独自の名称とシンボルを掲げた複数の集団が、一帯に無断で立ち入るようになったのだ。「『ストーカー』たちは自分たちの行為を、過度に規制された世界からの逃避であるととらえています。そこはもう一つの現実であり、社会の崩壊の断片を理解し、それについてじっくりと考えることのできる場所です。そうした場所の大半はフェンスで区切られており、これを越えていくことには、単なる禁忌を犯すスリル以上に、政治的な意味合いがあります」。英スターリング大学でチェルノブイリを研究するスチュワート・リンゼイ氏はこう指摘する。

ストーカーは自分たちのことを、歴史を学ぶ者であり、ドキュメンタリー作家であると考えている。彼らの目的は都市の果てしない喧騒(けんそう)から逃れるという行為によって、チェルノブイリの記憶が忘れ去られるのを防ぐことだ。

「ソビエトでの暮らしが展示された、巨大な博物館に行くようなものです。そこでは歴史にじかに触れることができます」。物理学者としての教育を受け、これまでに立ち入り禁止区域内を11回訪れているアレクサンデル・シェレフ氏は語る。「週40時間の労働とコンクリートの箱の中での生活を離れて、完全な別世界に入るのです。そのとき人は社会問題からも、どこにでもついて回るスマートフォンやソーシャルネットワークからも逃れて、自分自身と向き合うことができます」

JEROME N. COOKSON, NG STAFFSOURCE: STATE AGENCY OF UKRAINE ON EXCLUSION ZONE MANAGEMENT

サイバー空間と現実空間

ウクライナで開発され、2007年に発売された『S.T.A.L.K.E.R.』(ストーカー)は、チェルノブイリの立ち入り禁止区域を舞台にしたパソコン用ゲームで、ストーカー運動に大きな影響を与えてきた。「立ち入り禁止区域に違法に入り込めと、プレーヤーをたき付けたことはありません。ゲームの中のバーチャルな世界と現実世界の区別は付けるべきです」と、ゲーム制作者の一人であるオレグ・ヤヴォルスキー氏は話す。「自分の目で現場を見てみたいというプレーヤーの欲求が相当に強いものだったことは確かでしょう」

『S.T.A.L.K.E.R.』とストーカー運動に対しては、若者特有の自己陶酔であり、現実の悲劇を、終末後の世界を描くSF作品へと矮小(わいしょう)化する行為だとの批判もある。ヤヴォルスキー氏は「『S.T.A.L.K.E.R.』の狙いは、未知なる自然の力をもてあそぶことの危険性を、人類に警告することでした」と話す。「あのゲームにはまた、若い世代に歴史に関心を持ってもらいたいという目的もありました。チェルノブイリ事故の教訓、そして原発事故の余波から命をかけて私たちを守ってくれた人々の偉業が、忘れられないようにしたいのです」

豚の飼育小屋で火をおこすクニャーゼフ氏。彼がここへ来ようと思い立ったきっかけは、ゲームの『S.T.A.L.K.E.R.』と、叔父が放射線を帯びた車の廃棄場で働いていたことだ(PHOTOGRAPH BY PIERPAOLO MITTICA, PARALLELOZERO)

「線量計がないところに放射線なし」

人々が大急ぎで街を後にしてから30年あまり、廃墟は生い茂る植物に占拠され、そこを動物たちが自由に闊歩(かっぽ)している。認可を受けたルートであれば、放射線量も低く、旅行者も比較的安心して過ごせる。しかし、ストーカーは自己の安全を顧みないことが多く、濾過していない水を飲み、野外になっている木の実を食べ、汚染された物体に触れるといった行為を繰り返す。彼らの間では「線量計がないところに放射線なし」という言葉がもてはやされているくらいだ。

ウクライナ国立放射線医学研究センターで線量測定・放射線衛生学科長を務めるヴァディム・チュマク氏のような科学者は、こうした考え方に異議を唱えている。「彼らはアドレナリン中毒にかかっており、危険なものにはなんであれ魅力を感じるのです」

ストーカーは自らの健康には無頓着だが、汚染が自分たちの社会にもたらす脅威について知らないわけではない。「ゾーンに関して最も不条理だと感じるのは、人間とその利益への渇望です」とクニャーゼフ氏は話す。「ここにやってくる人々は、森の木や、放射線技術の墓場にある汚染された金属を外へ持ち出し、原料として売りさばいています。こうした物に接触した人々から、新たながん患者が出るかもしれません。木材からはベビーベッドが、鉄からはおもちゃが作られる可能性があるのですから」

次ページで、立ち入り禁止区域に侵入するストーカーの写真7点を紹介する。

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