「ケンゾー」が語る 冒険・栄光・挫折の軌跡高田賢三著 「夢の回想録 高田賢三自伝」

当時は洋裁学校を「花嫁学校」のようにみる人が多く、「男が裁縫など学んでどうするんだ」という冷たい風潮だったそうです。家族も高田氏も、就職の心配が尽きません。それでも2年目にデザイン科に進むと、個性豊かな先生や後のライバルとの出会いが待っていました。松田光弘氏、金子功氏、コシノジュンコ氏など、後のファッション界をリードする人材がそろっており、この代は後に「花の9期生」とよばれるようになります。

デザイン画、パリで売れてビックリ

若いデザイナーの共通の目標は、ファッション雑誌「装苑」が生んだファッションコンテストの装苑賞でした。受賞すれば、デザイナーとして飛躍するチャンスが手に入ります。コシノジュンコ氏が60年上期に最年少で受賞し、下期には高田氏も受賞を果たします。そこから装苑をはじめ、数々の雑誌からデザイン画の注文がくるようになりました。アパレルメーカーへの就職も決まります。

高度経済成長期の64年、住んでいたマンションの立ち退きで思わぬ収入を得た高田氏は、会社を半年間休職し、ファッションデザイナーとして憧れだったパリへの「留学」を決意します。1カ月の船旅の間、アジア、中東、アフリカ、欧州諸国で見聞きしたものが、後の作風のモチーフになったそうです。

周囲が寝静まった深夜。ホテルでふと部屋を見渡すと、机の上にスケッチ帳や筆記具が無造作に放置してある。鏡に映った自分の顔を見つめているうちに突然、心の中で何かがはじけた。
(失うものなどなにもない。当たって砕けろの精神だ!)
おもむろに画用紙に向かうと、一心不乱にデザイン画を描き始めた。
アジア、中東、アフリカ、欧州……。各地で吸収してきたすべてをたたきつけるようにして数十枚を一気に仕上げた。
(第1部 夢の回想録2 売り込み 52ページ)

描きあげたデザイン画を憧れのブティックに持ち込んだ高田氏は、即座に買い取ってもらえたことに驚きます。デザイン画は雑誌、ブティック、アパレル会社などにも売れ、デザイナーとしての就職の道も開けました。そのままパリで自分の店を開いたり、ショーを開催したりと、高田氏は成功への階段を駆け上っていきます。

挑戦といたずら心が原動力

成功続きの高田氏のようですが、監督した映画が大失敗したり、経営上のパートナーと衝突したりと、多くの挫折も経験しています。99年には経営権を巡る争いの末、失意のうちに「ケンゾー」を退きます。その後、2004年のアテネ五輪で柳井正氏が率いるファーストリテイリングと組んで日本選手団の公式ユニホームを手掛けたかと思えば、07年には自己破産に追い込まれるなど、波乱のなかを走り続けました。

誰でも例外なく、年は取るものだ。
でも、いつまでも夢は追い続けたい。
子どもっぽいと人から笑われてもいい。どんなときも、決して失敗を恐れず、果敢に挑戦する。何歳になってもイタズラ心を忘れない。そんな冒険心が私の人生と創造の原動力になっている。
(第1部 夢の回想録5 冒険心 202ページ)

第2部に収めた、親友でライバルでもあるコシノジュンコ氏との対談や後輩の山本耀司氏へのインタビューも読みどころです。

高田氏は「気分的に余裕のない生活は、頭の中までそういうふうになってしまうから、いい仕事もできないと思います」と母への手紙の中で語っています。「余裕がチャンスをもたらし、それをつかむ」。仕事と真剣に向き合うにも、遊び心が大切だと教えてくれる一冊です。

◆編集者からひとこと 苅山泰幸

パリで初めて成功した日本人ファッションデザイナーの自伝。といっても、ただの成功物語ではありません。高田賢三氏といえば、繁華街の「KENZO」のブティックを思い浮かべると思いますが、仏LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループに買収され、本人は1999年に退いています。

70年代、80年代は創造力を自由にはためかせ、ミック・ジャガー氏やアンディ・ウォーホル氏らとも交遊する華麗な「遊び人」としても名をはせた時代。90年代に入り、デラックスブランドが資本の論理に翻弄されるようになると一転、苦渋を味わいます。

人生の伴侶となった男性との恋と別れも含め、デザイナー人生の表も裏も包み隠さず語り尽くしています。経営と創造、仕事と遊び、恋と家族……。79歳を迎えようとしている現在、それでも夢を追い続けるケンゾーの半生からは、若いビジネスマンも学ぶことが多いでしょう。

「若手リーダーに贈る教科書」は原則隔週土曜日に掲載します。

夢の回想録 高田賢三自伝

著者 : 高田 賢三
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 2,052円 (税込み)

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