ウクライナの音楽家、九州でつむぐ極上のモーツァルト
クラシックディスク・今月の3点
タラス・デムチシン(指揮・バセットクラリネット)、武内麻美(ヴァイオリン)、ベートーヴェンシンフォニエッタ
ジャケット写真だけ見ればクラリネット奏者のリサイタル盤、アルバムタイトルを読んでも、いったい何が始まるのかわからない。ところが再生したとたん、モーツァルトが死の2カ月前に残した傑作「クラリネット協奏曲イ長調K(ケッヘル作品番号)622」冒頭の柔らかく、清澄な響きが部屋いっぱいに広がり、びっくりした。
作曲家の友人だったクラリネットの名手アントン・シュタードラーが開発、低音域の充実を図ったバセットクラリネットを巧みに奏でながら、品格確かな指揮を強く印象づけるのはタラス・デムチシン。1984年にウクライナで生まれ、ドイツに留学した後、2007年に福岡市の九州交響楽団(九響)に首席奏者として入団。11年には大阪国際音楽コンクールの木管部門で優勝している。
管弦楽を担うベートーヴェンシンフォニエッタは14年12月、デムチシンが九響、北九州市の響ホール室内合奏団の楽員、九州圏で活動するフリーランスの奏者を集めて結成したアンサンブル。2曲目のベートーヴェン、「ロマンス第2番ヘ長調作品50」の独奏を担う武内麻美は同シンフォニエッタのコンサートマスターだ。
最後は再びモーツァルトで、「交響曲第29番イ長調K201」。ここでは指揮に専念するデムチシンだが、メンバーから生き生きした表情を引き出し、流麗かつ美しい響きで魅了する。何より音楽に清潔感があり、演奏者の個性よりも作品自体にすべてを語らせようとする節度がある種、理想的なモーツァルト解釈に結晶している。
日本のオーケストラは長く日本人、アジア人の楽員中心で構成され、欧米人はゲスト奏者などの形でしか存在しなかった。ところが20~21世紀の変わり目前後から、一般待遇の楽員として入団するケースが管楽器を中心に増えてきた。デムチシンもその一人。九州に根を下ろし、オーケストラプレーヤーのみならず指揮者として、地域の文化に貢献している。その健全な展開を立証する、見事なライブ録音(16年11月14日、福岡市なみきスクエア東市民センターでの演奏会)の登場だ。(コジマ録音)
長哲也(ファゴット)
長(ちょう)は偶然にも北九州市出身だが、東京芸術大学音楽学部を卒業すると同時に東京都交響楽団(都響)の首席ファゴット奏者となった。これもまた、驚くべきデビューアルバムだ。20~21世紀に作曲された6人の作曲家の作品を最初から最後まで、ファゴットのソロだけで聴かせる。「現代音楽は難解だ」の偏見はどこへやら、あまりにも達者なファゴットの至芸に耳を奪われ、一気に聴き終えてしまう。
ウィルソン・オズボーン(1906~79年)の「ラプソディ」に始まり、マルコム・アーノルド(1921~2006年)の「ファンタジー」、モーリス・アラール(1923~2004年)の「パガニーニの主題による狂詩曲」、イサン・ユン(1917~95年)の「モノローグ」、フィリップ・エルサン(1948年~)の「ニグン」を経て、長自身が2015年のリサイタルのために委嘱初演した池辺晋一郎(1943年~)の「ファゴットはたゆたい、そして微笑む」で閉じる無伴奏ファゴットの輪。リストやブラームス、ラフマニノフらも引用したパガニーニの有名な旋律も現れ、エンターテインメント性すら漂わせる。
クールで妖しい輝きはどこか、フィギュアスケートの羽生結弦選手を思わせる。(フォンテック)
マルク=アンドレ・アムラン(ピアノ)、レイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノ)
フランス系カナダ人で超絶技巧作品のスペシャリストみたいに思われがちだが、実は音楽的にも鋭い感性を放つアムラン。ノルウェーの小さな町でヤナーチェク直系のチェコ人教師の手ほどきを受け、こつこつ積み重ねてきた実力派ながら、40代半ばにして世界楽壇を代表するヴィルトゥオーゾ(名手)の一人となったアンスネス。両者の芸風はかなり異なるが、ピアノを美しい音で鳴らしきる強靱(きょうじん)なテクニック、隅から隅まで自らの意思を通す解釈の徹底など通じ合う部分も多く、ここ何年か、2台ピアノの共演を続けている。
今回の2017年4月6~8日、ベルリンのテルデックス・スタジオでのセッション録音盤にはイーゴリ・ストラヴィンスキーの作品が5曲、収められている。オリジナルは「2台のピアノのための協奏曲」だけ。後は管弦楽からの転用で「春の祭典」は作曲者自身、「マドリード」は息子のスリマ・ストラヴィンスキー、「タンゴ」と「サーカス・ポルカ」はヴィクトル・バビンの編曲による。
1913年。興行師ディアギレフが率いるロシア・バレエ団(バレエ・リュス)のために作曲し、パリで世界初演した「春の祭典」のもたらした衝撃は当時、「音楽史上最大のスキャンダル」とさえ呼ばれた。センセーショナルな題材の選択、激しく爆発する管弦楽のいずれもがあまりに大胆で、演奏も至難を極めた。今日では困難が克服された代わり、洗練が過ぎ、作品本来の生命力が薄まった演奏にも度々出くわす。
2台ピアノ版「春の祭典」も日常のレパートリーに定着してきたが、技巧的な課題には今日なお、管弦楽以上の過酷さがある。だがアムランとアンスネスは悪戦苦闘の真逆で余裕しゃくしゃく、どこまでもマッチョにピアノを操りながら、作品本来の野性味を存分に味わわせてくれる。(英ハイペリオン=日本輸入元は東京エムプラス)
(コンテンツ編集部 池田卓夫)
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