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ドクターヘリに乗って、沖山医師は治療に当たっていた=沖山氏提供

ドクターヘリに乗って、沖山医師は治療に当たっていた=沖山氏提供

ドクターヘリの医師から起業家に。東京大学医学部を卒業し、救命救急の医師となった沖山翔氏(32)は2017年11月、AI(人工知能)などのデジタル技術を活用して医療業務を支援するアイリス(東京・千代田)を起業した。エリート医師の道に固執せず、離島でドクターヘリに乗り、ベンチャー企業に入社し、船医となるなど異色のキャリアを積み重ねる。東大卒の救急医が起業したわけは。

都会の救急医、沖縄の離島へ

「この病気の専門家だったら、救えたんじゃないか」。救急医の沖山氏は、何度もこう自問自答する場面に出くわしてきた。医学部を出て日本赤十字社医療センター(東京・渋谷)で研修医に。当初は内科医になろうと考えていたが、「何にでも対応できる医師になりたい」と医師3年目に救急科に転向した。東大卒の医師でハードな救急医を志望するのは少数派だった。

その1年後、「都会と違う医療に触れたい」と医師不足に悩む離島に向かった。沖縄県の石垣島にある県立病院に2人しかいない救急医として勤務。その沖合の波照間島にも1人で診療に歩いた。ドクターヘリに乗り、島々を飛び回った。台湾からのクルーズ船で急患が出たときも、ヘリで対応した。

さらに1年後に日赤医療センターに戻り、救急医のチームリーダーとなった。常に重症患者を受け持った。即断即決、救急医に欠かせないのは体力と瞬発力。当直は月のうち13~14日に及び、36時間連続勤務も当たり前。中高時代はバスケット部で鍛えていて、体力には自信があった。疲労困憊(こんぱい)しながらも、やりがいを感じ、心地のいい緊張感には包まれていた。しかし、疑問が頭をもたげる。

「もし、ここにすご腕のドクターがいれば、この患者さんは助かったかもしれない。患者さんももっと正確な知識を持っていれば、適切な科の医師に迅速に診てもらえたのでは。医師のスキルの差、患者の知識や情報の差、これらの『格差』を是正できないのか」。沖山氏が思い悩んでいるとき、医学部の1年先輩で脳外科医だった豊田剛一郎氏から声がかかった。医療ベンチャーのメドレーの経営に携わっていた。

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