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バーボンは愛国心の酒? 米独立戦争で、自前の原料に

世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(13)

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NIKKEI STYLE

皆さんは三角貿易という言葉を覚えていらっしゃるだろうか? 一般によく知られているのは、英国-インド-中国(清)の三角であろう。

18世紀、産業革命を通じて綿織物の大量生産に成功した英国が、その綿織物をインドに輸出、その代金としてインドで得たアヘンを清に輸出。清から輸入していた茶、絹織物、陶磁器などの決済に使うという貿易である。アヘンの輸入を禁止した清と英国の間で1840年に始まったアヘン戦争に負けた清は、1842年の南京条約で香港を割譲し、領事裁判権(治外法権)を認め、関税自主権を失った。

アヘン戦争後、賠償金支払いなどのために清は農民に重税を課したため1851年に反乱が起き、反乱軍は太平天国を建国。清がこの反乱を鎮圧したのは、14年後の1864年であった。

この英国の中国進出は、結果的に日本のウイスキー誕生に貢献することになる。ジャパニーズウイスキーの章で詳細を紹介したい。

一方、アメリカが登場する三角貿易が、インド、中国から見て地球の裏側で始まっていた。こちらの三角貿易は、アメリカンウイスキーの発展に寄与する。

アメリカと言っても、コロンブスが1492年に発見した西インド諸島や中南米も含まれる。そして、アフリカがこの貿易で大きな苦難を味わう。

まず、英国がアフリカに綿布、ラム酒(以下ラムと表記)、武器、日用品などを売り、その売り上げで奴隷を仕入れる。その奴隷をアメリカやカリブ海諸国、中南米で売り捌き、プランテーションで働かせる。プランテーションでできた綿花を加工した織物、コーヒー、たばこ、砂糖をヨーロッパで売り、また直接アフリカ市場で売る。英国-アフリカ-アメリカの三角である。

17~19世紀のこの大西洋三角貿易の利益こそ、英国産業革命の原資の一つとなったのだった。スコッチウイスキーも実はこの貿易の恩恵を受ける。

例えばスモーキーモルトで有名なアイラ島のウイスキー産業。グラスゴーの裕福なたばこ商人が島の前オーナーから1726年に島を購入する。新オーナー一族は何代にもわたって、アイラ島の発展のために農業、水産業から始まって繊維業、鉱山業などまで産業振興を図る。その中にウイスキーも入っていたのだ。

振興策の一例が土地のリース制度である。ボウモアもラフロイグも蒸溜所の敷地を島のオーナーからリースしていたが、それは起業するウイスキー業者にとって大きな助けとなった。

アメリカンウイスキーが受けたインパクトはスコッチの比ではなかった。この大西洋三角貿易の主役の一つラムがアメリカ建国につながる大きなうねりを引き起こす。そのラムはまたアメリカンウイスキー発展の起爆剤となる。その経緯は以下のようであった。

カリブ海地域、中南米のプランテーションで栽培されるサトウキビ。その搾り汁から砂糖を精製する際に残る粘性の高い黒褐色の液体が廃糖蜜である。

まだ多くの糖分(ショ糖)や様々な成分が含まれている。水で溶かして酵母を加えれば発酵する。その発酵液を蒸溜すれば、アルコール度数が上がり、酸敗しなくて取り扱いが楽で、高い付加価値を持つラムになる。日本の黒糖焼酎に相当する。

英国は、その支配地域で出た廃糖蜜の多くを自国の植民地アメリカ、ニューイングランド周辺でラムに加工していた。1664年に最初のラム蒸溜所ができたとされているが、ラム製造は主要産業として発展し、100年後の1770年には140のラム蒸溜所があったと記録されている。

当時のニューイングランドとは以下の4植民地であった。ニューハンプシャー、マサチューセッツ、ロードアイランド、コネティカット。ちなみに1776年に独立宣言した13植民地はこの4植民地と以下の9植民地である。ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルベニア、デラウェア、メリーランド、バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア。

現在のニューイングランドは上記4植民地とメーン州、及び、バーモント州から成る。メーン州はマサチューセッツ植民地から、バーモント州はニューハンプシャー及びニューヨーク植民地から分離してできた。

ラムは輸出されただけでなく、植民地の日常酒として普及した。当時飲まれていた酒類に関する1790年の統計が残っている。15歳以上の住民1人が1年間に飲んだ酒類の量である。エール(ビールの一種)、サイダー(シードルとも言う。リンゴ酒)合わせて128リットル、蒸溜酒(ラムが中心)19リットル、ワイン4リットル。100%アルコールに換算すると、ラムの消費量が最大である。

ラムは貿易の最重要商材になるとともに、船乗りたちにも普及し、厳しい航海の慰めとなった。英国海軍では1740年から「Tot」と呼ばれる1日2回正午と日没時のラムの配給を始めた。量は1回4分の1パイント(=137.5ミリリットル)、度数100プルーフのラムが配給に使われた。

このプルーフという単位は、アルコールの度数を確かめる方法に由来する。酒精計がない時代、銃弾の火薬を酒に浸した状態で着火する度数を「100プルーフ」として、火が着かない場合、「アンダープルーフ」と呼んだ。

1816年、正確な酒精計が発明された。その読みは、現在日常用いられている容量アルコール%であったが、酒精計で測定すると100プルーフは57.1%であった。

一方、英国海軍では配給ラムの度数確認が行われた。火薬法で100プルーフとされたラム100種類の度数測定の結果は平均95.5プルーフつまり54.5%しかないことが判明した。こうして「海軍度数」という言葉が生まれ、100プルーフが54.5%となったのだった。以上は英国のプルーフについての説明で、アメリカではプルーフは容量アルコール%の2倍である。

1655年の英国海軍のジャマイカ攻略の成功、そこで見つけたラムの水兵への分配が起源とされるラム配給の長い歴史が終わる日が来る。最後の日である1970年7月31日には盛大な式典が行われ、「Black Tot Day」と呼ばれる記念日になった。

植民地にとって非常に重要な産物ラムがウイスキーへの扉を開く時が来る。本国からの輸入額が増えたのに呼応して、ますますラムの生産量を増やしていったニューイングランドをはじめとする植民地は、本国が定めていた廃糖蜜にかけられる関税を無視し、廃糖蜜を公然と密輸入するようになった。それに対して英国は2度にわたって厳しい税制を課したが、植民地は強く反発した。本国政府はさらに、例えば証書やあらゆる印刷物への本国の印紙貼付の義務化や酒、茶、紙、ガラス、ペンキなどへの非常に高率の関税適用などの懲罰的な税制を導入し、植民地と本国の関係は悪化の一途をたどった。

茶への課税にも関わらず、本国政府は当時経営が苦しくなっていた東インド会社救済策として、13植民地向け茶販売に関税なしの特権を与える(1773年、茶法)。これに対し、ボストンで茶法に反対していた人々がインディアンに扮装(ふんそう)して停泊中の東インド会社の商船から商品の茶を海に投げ捨てる事件が起きる。これが有名なボストン茶会事件である。1773年のことであった。

1774年、英本国への対応をめぐり第1回大陸会議開催、ジョージア州を除く12植民地の代表が集まり本国との通商断絶を決議。そして翌1775年、ボストン郊外にて本国軍と植民地兵との武力衝突が勃発(レキシントンの戦い)。これがアメリカ独立戦争の最初の戦闘である。

密輸取り締まりの厳格化の結果起きていた日常酒ラムの価格高騰は、本国の圧政に対する植民地の住民の怒りを高めていった。本国は懲罰のため廃糖蜜の輸出を絞り、ラムの供給が激減した。議員も出していない本国の議会で決められる一方的な措置は、植民地の独立への意思を燃え上がらせた。

英国による海上封鎖で供給が細った廃糖蜜に代わって見直されたのが、植民地で収穫されるライ麦ととうもろこしであった。ライ麦は、東部の州でよく育つ。もともとラム蒸溜という基盤はある。しかも原料は100%自前で用意できる。ウイスキーの位置づけが変わる瞬間であった。それまでのウイスキーは農家が自家栽培した穀物の余剰で細々とつくっていた。それが今やラムの代替だけでなく、アイデンティティーと愛国心の象徴、英国からの独立の旗になったのであった。アメリカンウイスキーの時代の幕開けである。

1776年7月4日、13植民地は独立宣言を行い、アメリカ合衆国が誕生する。その後、1778年のフランスとの同盟締結と参戦、次いでスペイン、オランダの支援も得て13州の植民地は独立戦争に勝利する。1783年のことであった。

独立戦争の間、ウイスキーづくりは大きく発展する。兵士への酒類の配給は士気の維持、高揚に必須であったからだ。

建国の父初代大統領、ジョージ・ワシントン自身もウイスキーづくりを始めた。大統領職を辞した1797年のことだった。ワシントンDCから車で3時間、現在のバージニア州に所有していたポトマック川に程近いマウント・バーノン農園の中に当時アメリカ最大級のウイスキー蒸溜所を建設したのだ。スコットランド系の農園監督者の勧めであった。蒸溜釜5基を有し、ライ、コーンウイスキーとフルーツブランデーを製造していた蒸溜所は1799年のワシントンの死から10年後、火事で焼失した後放棄されていたが、1995年にその廃虚が発見された。そして、何と2007年にはDISCUS(合衆国蒸溜酒協議会)によって再建され、実生産をする博物館として一般に開放された。併せてアメリカンウイスキー・トレイルの出発地にもなっている。

自身でウイスキー業を始めたワシントンであったが、大統領時代には伸びようとしているウイスキー業に対して非常に大きな試練をもたらした。ウイスキーへの課税である。新生合衆国連邦政府は独立戦争で各州が負った負債を国として引き受けた。初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンは歳入増のため、ウイスキーへの課税を連邦議会に認めさせた。1791年のことであった。それは、国内産品に初めて掛ける税金であった。そして、小さな蒸溜業者は蒸溜量を対象に課税、大量に生産する大きな業者は蒸溜量にかかわらず定額にした。当然、その影響は大事業者よりも小事業者にとって深刻なものとなった。これは、アイルランドやスコットランドで導入された酒税の考え方と同じで、税金の取りやすい、競争力のある大規模業者優遇の税制である。

これに対し、激しい反対運動が起きた。小規模業者たちは、なけなしの農産物を換金性の高いウイスキーに変えることで生計を立てていたからである。1794年のペンシルベニア州西部での蜂起をきっかけに、誕生したばかりの国家を揺るがす暴動へと、燎原(りょうげん)の火のごとく広がっていく。ウイスキー税反乱(ウイスキー・リベリオン)と呼ばれる激しい内乱となったが、大統領ワシントン自身が率いた政府軍の投入などで鎮圧される。1796年のことであった。その間に、今日につながるアメリカウイスキー産業の骨格が出来上がる動きが加速する。政府の手が届かなかったケンタッキー州、テネシー州でのウイスキーづくりの広がりである。

今回お奨めするのは、比較試飲である。とうもろこしが51%以上のバーボンウイスキーに対し、ライウイスキーはライ麦が51%以上使われている。実はアメリカでは数年前からこのライウイスキーの消費に火が付き、毎年20%近い伸びを見せている。ライウイスキーにはバーボンにはないスパイシーさ、複雑さがある。それを実感するには、同じ銘柄でバーボンとライの両方を比較するとよい。

「ジム ビーム」と「ジムビーム ライ」、そして、「ノブ クリーク」と「ノブ クリーク ライ」の飲み比べをお薦めする。スタイルは、ハイボール、水割り、そして、ストレート。ライのおいしさを知ることはウイスキー飲みの楽しみの一つでもある。

(サントリースピリッツ社専任シニアスペシャリスト=ウイスキー 三鍋昌春)

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