「鍵っ子」の原体験 社会に出て思い知った母の愛
慌ただしい朝の支度、登園時のあっという間のバイバイ、急な残業で約束が守れない夜……。多くの働く親が身に覚えがある、胸がちくりと痛むような日常のシーンを、かわいらしいうさぎの親子の絵と共に伝える絵本「たからもののあなた」。幼稚園に通ううさぎの女の子フウちゃんと働くお母さんとの日常を描いたこの絵本は、「温かい世界観なのにリアル!」と、発売と同時に大きな反響を呼んでいます。
絵本作家のまつおりかこさんは、幼いころ、働く親を見て育ったときの実体験を基にこの作品を作り上げました。大好きな親の役に立ちたいという気持ち、そして、言葉には出さないけれど時折の寂しさや切なさ。主人公、うさぎのフウに重ねた自身の経験と、社会人になってからより深く感謝するようになったという両親への思いについて聞きました。
今だからこそ分かる、働く親の苦労や愛情を絵本で伝えたかった
──朝の登園時、他の子どもたちがママとお別れのあいさつをしているのを脇目に駆け足で仕事に向かったり、お月様が出ているのにまだお母さんが帰ってこなかったり。絵本「たからもののあなた」のほんわかとした温かい世界観の中に、働く母子のリアルが随所に盛り込まれていてとても共感しました。現在28歳のまつおさんが、「働く親」をテーマにした絵本を出そうと思ったのはなぜでしょうか?
私自身が、幼いころ「鍵っ子」だったんです。小学校1年生のとき、父が会社を辞めて起業し、母も父の会社を手伝うことになりました。母は私が小さいころは住んでいたマンションの管理人をしながら子育てに軸を置いた働き方をしていたのですが、父の起業により朝から夜まで働くようになり環境が変わりました。「お母さんが大好き。でも、時々ちょっと寂しい」という当時の気持ちや、大人になった今だからこそ分かる母や周りの大人から受けた愛情を、絵本として描きたいと思ったのがきっかけです。
もう一つのきっかけが、仕事で毎日忙しいキャリアママの知人から、思春期真っただ中のお子さんに「お母さんみたいにはなりたくない!」と言われてしまったという話を聞いたことです。
──それはつらいですね。親からすると、最も悲しい気持ちになる言葉の一つかもしれません……。
そうですよね。私自身は小学校低学年の時期は叔母や近所の大人たちが親代わりのような存在でいてくれましたが、それでも時々、寂しい気持ちになることがありました。小学生のころは友達の家に遊びに行って手作りのおやつを出してもらったり、優しくおもてなししてもらったりすると、お母さんがいつも家にいる子を羨ましく思ったことも……。だから、その子の気持ちも分かるんです。
でも、自分が実際に社会人になってみると働く意義や大変さも分かり、母が仕事も家事も子育てもと頑張っていた姿は本当にすごかったのだなあと改めて思うようになりました。お母さんも頑張っているんだよということを伝えたくて。子どもの気持ちに寄り添いながらも、深い愛で子を思う働くお母さんの姿を描いた作品を作りたいと思いました。
──働く親を主人公にした作品が非常に少ない理由の一つに、働く親のリアルと絵本のぬくもりある世界観をうまく融合させるのが難しいという点があると思います。この絵本が完成するまでにもそうした軌道修正をすることがあったのでしょうか。
そうですね、絵本が世に出るまでには何回も試作をして、一児の母でもある編集者と一緒に練り直していきました。そのとき最初に作ったのが、この「かぎっこルウ」です。
──寂しそうに扉を開けている様子がリアルですね。
私と姉は鍵っ子だったので、今も色濃く残る当時の思い出を描きました。今は、安全面から子どもだけで留守番させるご家庭も少なくなったので、「かぎっこ」というフレーズは使わないことになりましたが、実際に経験した思い出のエッセンスは仕上がりにも生きています。
ご近所のおばあさんからの「あなたは宝物」という言葉が支えに
──共働き家庭で育ったまつおさんですが、絵本の「フウちゃん」と同じく幼稚園に通っていたそうですね。当時、どんなふうに過ごしていたのですか?
私が幼稚園に通っているころは、母は家族が住んでいるマンションの管理人をしていました。当時は保護者が当番制で教諭とともに送迎を行う幼稚園だったので、近所の子たちと一緒に帰ってくると、母がマンション内で働いている姿が見えるような環境でしたね。いつも姉と母が敷地内の清掃などをしている様子を見ながら、外でおままごとをしていたのを覚えています。他にもマンションの向かいに住むおばあさんと仲良くなったり、近所のいつも行くお米屋さんのところに行って、お店のおじさん、おばさんに遊んでもらったり、ご近所の方に恵まれていました。だから普段は、全然寂しくはなかったんです。
──ご近所の方にも見守ってもらえていたというのはすてきですね。
お向かいに住んでいるおばあさんは、姉が生まれたときから家族ぐるみで仲良くさせていただいていて、今でも本当によくしてくださっています。私を見かけるたびに、「あなたは私の宝物よ」と言ってくださるのです。その言葉は本当にうれしくて、大人になった今、血がつながっていなくても、ご近所のおばあさんのそうした言葉が自分をずっと支えてくれていたなと気付いたんです。だから、絵本に出てくるフウのおばあさんはこの方がモデル(冒頭の写真、絵本の左側のおばあさん)。そしてタイトルも「たからもののあなた」にしました。
──お母さんも、ご自身が働いて普段近くにいられない分、地域の方とのつながりを意識して深めてこられたのでしょうね。
今考えると、そうかもしれません。小学校に上がって、両親が起業をして会社に働きに行くようになってからは、叔母が私の帰宅後から母が帰ってくるまでの間、自宅に来て母親代わりをしてくれました。
お母さんがいるお友達の家に行くと募る「羨ましい」気持ち
──小学校1年生からの生活の変化について、ご両親から何か事前に心の準備のようなことを言われたりしたのでしょうか。
実は、ちゃんと説明を受けた記憶があまりなくて、ある日、母から「今日は帰ったら叔母さんがいるからね」と言われて、「そうか、明日はお母さんはいなくて叔母さんがいるのか」と思ったことを覚えています。ただ、それまであまり叔母と一対一でじっくり話をしたことがなかったので、初日は本当に緊張してしまって。帰宅後すぐ、「お友達の家に行ってくるね」と逃げました(笑)。それで、その日以降、低学年のうちは毎日叔母が来てくれるようになりました。
──帰宅時にお母さんが家にいないという状況に変わって、子ども心にどう感じていましたか?
「寂しい」という気持ちは普段はなくて、友達と遊んだり、姉とアニメや漫画を見たりして楽しく過ごしていたんです。夕方5時を過ぎたころに母から電話があり「今から帰るからお米を研いで炊いておいてね」と言われる。私にとっては、それが当たり前の日常でした。でも、全く寂しくなかったかと言われるとそうではなくて、お友達の家に行って、お母さんがおやつを出してくれたりすると、「いいなあ、うちのお母さんも家にいてくれたらな」と思う瞬間もありました。
──絵本の中にも、幼稚園のお友達の家に行ったフウちゃんが、園で描いたお母さんの似顔絵をすぐにママに見せている様子を羨ましそうに見ているシーンがあります。
そうですね。私にとってこの絵本に取り組む原点となるシーンで、そのときの素直な気持ちを絵本に込めました。でも、それはあくまでも突発的な、でも確かな気持ちであって、実際は、父も母も休みの日にたくさん遊んでくれていましたし、忙しい中でもお菓子作りを一緒にしてくれたりして親からの愛は実感して育ちました。だから、当時、ひどく寂しかったという印象はないんです。
忙しい両親との楽しい時間の思い出が、創作活動の原点に
──普段、子どもと一緒に過ごす時間が限られる分、休日は心に残ることを家族一緒にしたいというのは親心ですね。仕事で忙しい親が工夫を凝らした「思い出に残る休日」のプランは、デビュー作の「あめのひえんそく」(岩崎書店)に実体験が投影されています。
「あめのひえんそく」は、雨で遠足に行けなくなった主人公とお母さんが、家の中を森や川や橋に見立てて探検をし、シートを敷いてお弁当を食べる、というストーリーです。母がまさに同じ遊びをよく家でやってくれていました。こんなふうに……。
──わあ、思い出のイラストを描いてきてくださったんですね。布団を橋に見立てて渡っているまつおさんを、お母さんが優しく見守っています。
小学校低学年のころまで、よく母がしてくれた大好きな遊びなんです。中でも印象に残っているのは、畳の上に敷いたレジャーシートに座って、母が作ってくれたお弁当を食べたこと! すごくおいしくて、楽しかったんです。簡単なチョコレートケーキもよく作ってくれて、姉と競い合ってクリームをなめました。その影響もあって、私も菓子作りが趣味に。今は「あなたのほうが上手になったから」と母にケーキを作ってもらえないのが寂しいです(笑)。
──忙しい中にも、子どもたちと一緒に、無理なく共働きライフを楽しむ工夫をされていた様子が伝わってきます。
母は独身のころに幼稚園教諭だったこともあり、私が物心ついたときから絵本が家にたくさんあって、毎晩読み聞かせもしてくれました。その影響もあって、絵本は私にとって特別なものですね。
ラガーマンで多忙な父 運動会よりもチームの試合を優先!?
──お父さんとはどんなふうに接していましたか?
私たちが小さいころは、父は多忙で出張も多く、あまり家にいませんでした。しかも週末はラグビーチームに入っていて、運動会があっても「俺も試合があるから」と言って、途中でいなくなってしまう人だったんです(笑)。
──家のことは妻任せ、という感じだったのでしょうか。
起業したばかりで忙しかったこともあり、昔は料理など一切していませんでしたが、クッキー作りはずっと父の担当で、「お父さんのクッキー」と呼んで、姉も私も喜んで一緒に作ったり食べたりしていました。仕事に余裕が出てからは、母と家事を分担するようになり、今では家族の夕飯をほぼ毎日父が作ってくれています。料理雑誌を見ながら色々凝った料理も作ってくれるんですよ。
改めて思い返してみると、ダンボールで家を作ってくれたり、クッキーを一緒に焼いてくれたり、忙しい中よく遊んでもらっていたなあ、と。両親からは、厳しく言われたり何かに反対されたりすることなく、愛情を受けて育ててもらったなと感謝しています。
中学校のとき不登校に 初めて母に爆発した日
──忙しい中でも、両親の愛を日々感じながら小学生時代を過ごしたまつおさんですが、絵本の主人公フウちゃんは、あることがきっかけでそれまで我慢してきた気持ちを爆発させてしまいます。働く親からすると、胸がぎゅっとつかまれるような切ないシーンですが、まつおさんにもこうした気持ちが爆発してしまうという経験があったのでしょうか。
私自身は、フウちゃんみたいに爆発したことはあまりありませんでしたね。ただ、日常を過ごしている中でも、心の片隅にいつも寂しさのような気持ちが確かに存在していて。中学生になったときに、一度だけ母に思いをぶつけたことがあるんです。
──何かきっかけがあったのですか?
実は思春期のころに、学校のこと、自分のこと、色々と悩みはあるのに、解決の方法が自分では分からないという時期がありました。学校に行きたいけれどどうしても行けないというときに、母は仕事があり、出かけなければいけない。寂しいと言って困らせたくはないし、どうしようもないと思っていたのです。でもある日気持ちが抑えられずに、「どうして行っちゃうの?」と出勤しようとする母を責めたことがありました。
──まつおさんが抱えていた本当の気持ちを、素直に伝えられたんですね。
「いつも頑張っている親に負担をかけたくない」という気持ちが先だって、ずっと言えなかった気持ちでした。でも、そのときは本当に苦しくて、母にそばにいてほしかった。母も「じゃあ、行かなければいいんでしょう!」とケンカになって……苦い思い出です(苦笑)。でも実際、仕事へ行かずずっと私に合わせて一緒にいてもらってもただ煮詰まるだけだったでしょうし、本当に行かないでほしい、と思っていたわけではなかったのだと今は思いますね。
愛情ある言葉かけと抱きしめるパワーの効果
──募る思いを爆発させたのは、その一度だけですか?
そうですね。母はいつも私の話を聞いてくれていましたし、応援してくれていました。大人になれば、働きながらいつもそれをしてくれることが大変なことというのも分かります。それにやっぱり、私は両親からも叔母やご近所のおばあさんからも、言葉や態度で愛情を表現してもらっていたからこそ、やってこられたのだと思っています。仕事をしていれば当然、ずっと一緒にいられませんよね。それは子ども心にも分かっていて。一緒にいられるときに、きちんと言葉や態度で愛情を伝えてくれていれば、それは伝わります。それが、絵本を通して私が一番伝えたかったことです。
──絵本の帯に推薦文を書かれた臨床心理士のほあしこどもクリニック副院長・帆足暁子先生も、言葉で愛情を伝える大切さや抱きしめる効果を説いています。
そうですね。私にもいつか子どもができたら、やはり両親にしてもらったように、遊びやボディータッチ、言葉で愛情をたくさん伝えてあげたらいいんだな、と思っています。
(ライター 玉居子泰子、写真 品田裕美、構成 加藤京子=日経DUAL)
絵本作家・イラストレーター。1989年大分県生まれ東京都育ち。女子美術大学版画コース卒業。喜怒哀楽の表情が豊かな動物が特長で、見る人の気持ちを温かくする絵を描く。作品に「あめのひえんそく」「たからもののあなた」(岩崎書店)、「おふろだいすき! しろくまきょうだい」(教育画劇)、「いっしょにあそぼう いない いない ばあ!」「ねんねのじかん ねてるこ だあれ?」(永岡書店)、「レトリバーきょうだいのケーキやさん ロッタのプレゼント」(PHP研究所)。
[日経DUAL 2017年12月11日付記事を再構成]
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