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危うく駿台入り? 東大受験失敗、河合塾経営の原点に 河合弘登・河合塾理事長が語る(下)

2018/2/12

河合弘登・河合塾理事長

 予備校大手・河合塾(名古屋市)の河合弘登理事長(70)が語る、母校・都立日比谷高校(東京・千代田)の黄金時代。当時の日比谷は、東京大学進学が当たり前だったが、河合氏は2度も東大受験に失敗。しかし、その時の苦い経験は、現在の予備校経営に生かされることになる。

 最初の東大受験失敗後、もう少しで、商売敵の駿台予備学校にお世話になるところだった。

 中学時代もあまり勉強はしませんでしたが、日比谷高校時代もそれほど勉強せず、友達と遊んでばかりいました。そのツケが回り、東大の入学試験に落ちました。

 東大を受けた理由は、日比谷の生徒は東大を受験するのが当たり前だったからです。みんな東大を受けるという前提なので、進路指導もありませんでした。それくらい、東大受験は、日比谷の生徒にとっては当たり前のことでした。

 昔の進学校には、大学受験に失敗した生徒を対象に、1年間補習授業を行う補習科という制度がありました。現在の予備校のようなものです。ただし、補習科に入るには試験があり、だれでも自動的に入れるわけではありません。

 東大受験に落ちた私は、補習科に入る試験を受けると同時に、駿台予備学校の入学試験も受けました。なぜ河合塾ではなく駿台だったかというと、そのころ河合塾はまだ東京に進出していなかったからです。両方合格したので、日比谷高校の補習科に行くことにしました。同じく東大受験に失敗した仲間もみんなそうしたからです。

 でも、補習科は、高校時代と教室も同じ、教える先生も同じ、周りも同じ顔ぶれ。何もかも高校時代と変わらないため、気持ちがうまく切り替わらず、結局、2度目の東大受験にも失敗。結果、併願していた慶応義塾大学経済学部に進むことにしました。あの時、補習科ではなく駿台を選んでいたら、東大に受かっていたかもしれないと後から思うことがよくあります(笑)。

 このように、私は日比谷高校ではダメな生徒でした。しかし、だからこそ、勉強のできない生徒の気持ちがよくわかります。

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