ももクロ卒業、有安杏果 ファンに最後のメッセージ
2018年1月15日、突然、ももいろクローバーZ(以下、ももクロ)からの卒業を発表した有安杏果。その後、様々なメディアにメンバー全員で出演して取材に対応したこともあり、モノノフ(ももクロファンの愛称)だけでなく、社会的なニュースにもなった。女性グループとして初めて国立競技場でのライブを実現し、17年はグループ初の味の素スタジアムでのライブも成功。有安自身も10月にはソロコンサートで日本武道館を満員にした。このタイミングで、なぜももクロから離れるのか。発表から2日後の1月17日、本人に話を聞いた。
「卒業についてはずっと前から考えていました。(17年春の)大学の卒業制作をしていて、同級生も就職を決めて新しいスタートを切ろうとしていたタイミングです。
子役から22年間芸能生活をやらせてもらって、いつどんな仕事が入るか分からないような日々を送ってきました。おかげで、普通の女の子ではできないようなことを本当にたくさん経験させてもらったけれど、ここでそういう生活から一度距離を置いて、普通の女の子の生活をゆっくりしてみたいという気持ちが強まっていった。テレビや新聞などのインタビューでもお話させていただいた通りなんですが、それが卒業の理由です。
この1年くらいはアルバムを作ったりライブをしたり、ソロでの活動も多かったのですが、それと今回の決断はまったく関係ありません。ただただ、何も予定のない日々を人生で一度くらい過ごしてみたかった。『辞めなくてもいいんじゃないか』という声もありましたが、休業だといつかは絶対に戻らなくてはいけない。それだと本当のお休みにならないから、そういうことを考えずに、毎日を健康的に過ごしてみたかったんです」
有安杏果がももクロに加入したのは、結成翌年の2009年だった。
「ももクロでの8年間を振り返ると、思い出すのはやっぱりお客さんを前にしたライブです。初めてももクロの一員としてステージに立った日は、もちろん忘れられない(09年7月26日)。『ももいろパンチ』で舞台に出たときは、それ以降とは全然違う、緊張や不安と怖さがありました。
ももクロのライブは毎回コンセプトが違うし、たとえセットリストが同じでも場所も来てくれた人も違うから、1つ1つに思い出があります。だから、どれが一番なんていうのは絶対に決められないですね。結構過酷なものもありましたけど(笑)、それでも楽しくないライブはありませんでしたから。
ソロコンサートももちろん印象に残っています。1回1回がその時に来てくれたお客さんとの大切な思い出です。ももクロの活動とは別にやったことだけど、ももクロがなければソロライブはできなかったと思うので感謝しています」
■ファンと一緒に作っているライブ
メンバーの卒業と加入が多い女性アイドルグループの中で、ももクロは初期を除くと、メンバー変動がほとんどないグループだった。ファンには最後に何を伝えたいか。
「ももクロのライブって本当にファンの方たちと一緒に作っていると思うんです。自然に生まれてくる動きやコールは1つのパフォーマンスだし、ライブに出てくれたゲストの方は必ず『ファンがすごいね』と言うんですが、本当にそうだと思う。今回の卒業に関してもいろいろな意見があるだろうし、叩かれるのも覚悟の上だったんですけど、『お疲れ様』と言ってくれる方もたくさんいました。(発表当日に)Abema TVに急きょ出演することになったときも、寒い中たくさんのファンが集まってくれて。
今はまだ気持ちの整理がついてない方も多いかもしれないけど、今まで私のことを応援してくれていた人も、ももクロのことを応援してくれたらうれしいなと思います。本当にいろいろなことを経験しながらここまで来られたのは、まぎれもなくメンバーとファンの皆さんのおかげです。8年間、本当にありがとうございました」
(デジタル編集部編集委員 大谷真幸)
[日経エンタテインメント! 2018年3月号の記事を再構成]
※インタビューの全文は、発売中の日経エンタテインメント!2018年3月号に掲載しています。誌面ではグループに残るメンバー4人への思いや、8年間の活動の思い出なども語ってもらいました。さらに有安さんの「卒業宣言」を聞いて何を考えたかを、メンバーの高城れにさんにもインタビュー。1月21日のラストライブのレポートも掲載しています。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。